写真:Naoyuki 金井
地図を見る昭和の輝いていた時期の浅草のシンボルが、1951年に開業した“浅草フランス座”。
永井荷風も熱心に通ったストリップ劇場で、気前のよい荷風は踊り子に人気だったとか。また、ストリップの合間にコントなどを上演し、これが評判となり“東洋劇場”が生まれ、この舞台で渥美清や東八郎などが人気を呼んだのです。因みに、後のフランス座のエレベーターボーイがビートたけしでした。
このフランス座は紆余曲折の後、1999年惜しまれつつ閉館し現在、落語を中心とした『浅草演芸ホール』と、色物専門劇場の『浅草東洋館』の2つの劇場となり、六区のシンボルとしての伝統を受け継いでいるのです。
写真:Naoyuki 金井
地図を見る浅草伝法院通りから浅草演芸ホールまでの僅か100mほどの商店街が『浅草六区通り』。以前はロックフラワーロードと呼ばれていましたが、2005年名称を変更し、通りの両脇に六区らしい街燈を立てたのです。
街燈には、浅草所縁の芸人の顔写真と解説文が付けられています。
清水金一や榎本健一という伝説の芸人から、萩本欽一、なぎら健壱といった現役、さらには「何故?」とも思える哀川翔までの33名+1名の街燈で、六区らしい雰囲気を醸しているのです。
写真:Naoyuki 金井
地図を見る古くからカフェ文化の根付いた浅草で、六区のなかでも人気のカフェが『珈琲天国』。
オープンは2005年と新しいのですが、煉瓦造りの外観や木の温もりが下町情緒を醸し出しています。
平日でもほぼ満席。土日ともなると若い女性が行列をなすほどの人気で、外はサックリ、中はふんわりの“サクふわ”に天国焼印のついたホットケーキがお目当てです。
決してパンケーキと云わないところが浅草らしく、喫茶界のニルヴァーナ(涅槃)と呼ばれる六区らしいカフェなのです。
写真:Naoyuki 金井
地図を見る浅草に来たらやはり浅草寺の参拝は欠かせませんが、ここは六区らしく参拝するなら『六芸神』。六区には、いつの頃からか六人の芸達者な神が住み着き、様々な芸人たちを見守り、芸の知恵を授けてくれると信じられていたのです。
唄の舞台を見守ってくれる“唄神”、唄神の兄でどんな歌にも演奏を合わせられる“奏神”、そして様々な話芸の間を心得ている“話神”。また、大道芸を見守ってきた“戯神”に役者達を見守ってきた“演神”。最後は、さまざまな舞を演じられる“踊神”です。
六芸神のご利益は、六区らしいエンタの神々なのです。
写真:Naoyuki 金井
地図を見る前述した街燈に一つだけ写真の無い“予約済”の行灯があり、その謎を解くカギが、行灯の前にある鯨料理の居酒屋『捕鯨船』。
ビートたけしが売れない頃から通った店で、主人も元芸人でたけしの先輩にあたる方。そこで行灯写真を北野武氏に頼んだところ「死んだら飾ってよ」との返事。そこで主人が考えて“予約済”にしたのですが、こんな勝手ができるのも、この主人が街燈のアイデアを出した張本人だからです。
現在でも、武氏が訪れると「若手に飲ませてやって」と大金を置いていくそうで六区の人情あふれる居酒屋なのです。
浅草六区観光はいかがですか。
“まるごとにっぽん”を訪れた際には、是非、エンタの聖地六区を散策してみてください。あなたの知らない歴史あるエンターテイメントの世界を堪能できることでしょう。
折角の浅草観光にちょっとディープな渋さを味付けしてみてください。
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(2024/4/24更新)
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