北九州市小倉「鴎外橋」と「森鴎外文学碑」文豪・森鴎外の面影

北九州市小倉「鴎外橋」と「森鴎外文学碑」文豪・森鴎外の面影

更新日:2016/09/22 20:48

北九州市小倉を南北に流れる紫川。幾つもの橋が掛かり、その中に文豪・森鴎外に因んで名付けられた「鴎外橋」があります。さらにその橋を渡れば、珍しい形をした「森鴎外文学碑」。医者の家系に生まれ、軍医としての職務を果たしながら、文学者としても大きな功績を残した森鴎外は福岡県北九州市の小倉に赴任し約3年間過ごします。そんな森鴎外を顕彰する「鴎外橋」と「森鴎外文学碑」を紫川や桜「舞姫」と共に御紹介致します。

文豪・森鴎外と小倉の繋がり

文豪・森鴎外と小倉の繋がり
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小倉駅から西側、小倉城方面へと向かうと紫川に掛かる橋が何本も現れます。北側から室町大橋、常盤橋、勝山橋とあり、その次の橋が「鴎外橋」です。名前の通り、文豪・森鴎外に因んで名付けられています。

森鴎外(1862年〜1922年)は1899 年(明治32年)に当時37歳の時に第十二師団軍医部長として福岡県小倉(現在の北九州市小倉北区)に着任し、約3年間をこの地で過ごしました。軍医部長としての職務を果たしながら、「我をして九州の富人(ふうじん)たらしめば」、「鴎外漁史(ぎょし)とは誰(た)ぞ」といった随筆を“福岡日日新聞”に発表。また安国寺の学僧・玉水俊虠(たまみず しゅんこ、1866年〜1915年)と親交を結んだり、旧跡や社寺を巡ったりと後年の文学活動における土壌を培っていきます。

※ 正確な表記は「森鷗外」と中央のカモメの字が<「區」+「鳥」>となりますが閲覧性保持のため新字体「鴎」を利用した「森鴎外」としています。

鴎外橋、別名“水鳥の橋”

鴎外橋、別名“水鳥の橋”
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鴎外橋は“水鳥の橋”とも呼ばれ、水鳥(鴎)が羽を広げているような美しい形状をしています。先述の室町大橋は“火の橋”、常盤橋は“木の橋”、勝山橋は“石の橋”といったように、それぞれの個性的な意匠が施されています。

鴎外橋の近く、紫川へと向かう支流の河口に掛かる紫川1号管理橋は“月の橋”と呼ばれ、再び紫川へと掛かる橋に戻って、中の橋は“太陽の橋”、紫川橋は“鉄の橋”、中島橋は“風の橋”、豊後橋は“音の橋”とテーマに沿ったデザインの橋が次々と掛かっています。

鴎外橋の中央の湾曲したスペースには、文化勲章受章の彫刻家・淀井敏夫(よどい としお、1911年〜2005年)によって制作された少女が鴎と戯れている彫刻作品「鴎」が設置されています。

ユニークな形状と重厚な石柱「森鴎外文学碑」

ユニークな形状と重厚な石柱「森鴎外文学碑」
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森鴎外の生誕100周年を記念して、1962年(昭和37年)小倉郷土会が中心となって、紫川河畔に「森鴎外文学碑」が建立されました。文化勲章受章の建築家・谷口吉郎(たにぐち よしろう、1904年〜1979年)により設計されたもので、六角形の石柱といった珍しい形状と重厚さが一際、目を引く文学碑となっています。

このユニークな文学碑の形には、明確なモチーフがあります。
森鴎外の小説の中には小倉三部作と総称される「鶏」、「独身」、「二人の友」といった作品群があり、その一つ「独身」の中に記された当時の常盤橋の袂に建てられていた広告塔を模したデザインとなっているのです。

五つの側面には森鴎外の作品から小倉に因んだ記述があり、残り一つの側面にはこの石碑の建立理由が刻まれています。写真の側面には、“私は豊前の小倉に足かけ四年ゐた”と小説「二人の友」からの文章が書かれています。

森鴎外と二箇所の小倉の住居:鍛冶町と京町

森鴎外と二箇所の小倉の住居:鍛冶町と京町
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“翌日も雨が降ってゐる/鍛冶町に借家があるといふのを見に行く”と小説「鶏」より引用された文章が刻まれています。森鴎外は約3年間、小倉の地に滞在して軍医の仕事と並行して文学活動もしていきます。

鍛冶町の住居には1899年(明治32年)6月24日〜1900年(明治33年)12月24日まで。京町の住居には1900年(明治33年)12月24日〜1902年(明治35年)3月26日まで生活をしていました。小倉駅南口には「森鴎外京町住居跡碑」が立っており、またオーガイストリートと呼ばれる路地を東へ進んだ鍛冶町には「森鴎外旧居」が残されています。こちらの文学碑と共に、森鴎外ゆかりの観光スポットとしてオススメです。

下部関連MEMOには「森鴎外旧居」の紹介記事へのリンクもありますので、宜しければそちらも御確認下さい。

森鴎外・生誕150周年植樹:八重桜「舞姫」

森鴎外・生誕150周年植樹:八重桜「舞姫」
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「森鴎外文学碑」は森鴎外の生誕100周年を記念して建てられましたが、2012年(平成24年)が生誕150周年に当たり、翌年1月に記念植樹が行われました。植えられた桜の品種名は、森鴎外の代表作に合わせて「舞姫」。
寿命が長く、病気に強い品種で樹全体が花で覆われる観賞性の高い桜で、新しく品種改良された八重桜です。開花はソメイヨシノ(染井吉野)より、やや後の時期となっています。

春には「鴎外橋」や「森鴎外文学碑」の周りに桜が咲き誇りますし、冬には光の祭典“小倉イルミネーション”の一環としてライトアップされます。季節や昼夜によって異なる彩りを楽しんでみて下さい。

北九州市小倉「鴎外橋」と「森鴎外文学碑」のまとめ

小倉駅南口から歩いて徒歩約10分の場所にある紫川に掛かる「鴎外橋」。小倉城方面へと別名“水鳥の橋”とも呼ばれる「鴎外橋」を渡れば、六角形の石柱「森鴎外文学碑」が現れます。春には桜、冬にはイルミネーションで彩られる紫川河畔と小倉の街並みも楽しんでみて下さい。

小倉城の南側には森鴎外を始めとする小倉にゆかりの文学者が紹介されている「北九州市立文学館」もあり、その他、小倉駅南口には「森鴎外京町住居跡碑」、東に進めば鍛冶町の「森鴎外旧居」と関連スポットも目白押しです。

福岡県北九州市の小倉北区にある「鴎外橋」を渡って、季節の彩りを楽しみながら「森鴎外文学碑」を訪ねてみて下さい。きっと森鴎外が小倉に残していったものを感じられるはずです。

掲載内容は執筆時点のものです。 2015/04/08 訪問

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