写真:いなもと かおり
地図を見る足助城(別名「真弓山城」「足助松山の城」)は、標高301メートルの真弓山の山頂を本丸として築かれた山城です。築城時期は不明ですが、戦国時代に西三河山間部を治めた「足助鈴木家」の居城だといわれています。
平成に入り、旧足助町は町制施行100周年記念事業として、全国としても初めての、本格的な山城の復元を試みました。発掘調査の結果を基に、戦国時代の地形や構築物を復元。城内の道にいたるまで、できる限り当時の様子を再現したそうです。そして、平成5(1993)年5月に「城跡公園足助城」として開園。こうして戦国期の軍事的要素の強い「戦う城」が現在に蘇ったのです。
写真:いなもと かおり
地図を見る「城」というとみなさんが想像するのは、天守閣や石垣、水堀が張り巡らされた立派な城だと思います。それは平和な時代になってから築かれた「平和のシンボル」としての近世城郭です。遡る戦国期には、手間もお金もかけずに築城でき、戦闘に有利な山に築かれた「土の城」が多くありました。足助城は後者にあたります。
本丸・物見台・南の丸・西の丸・北腰曲輪をはじめ、尾根筋に渡るまで複数の曲輪群(※1)で構成されている足助城ですが、公園となっているのは城の中心部分です。復元された構築物の他にも大きな堀切(※2)や、土を盛った防御壁「土塁」といった遺構を見学することができます。
写真の場所は、西の丸から南の丸を結ぶ通路の役を担う「腰曲輪」です。足助城の中で唯一、礎石を使った建物跡があった場所だそうです。写真の奥にある南の丸と高低差があるのがわかります。これが「土の城」の特徴のひとつなのです。
※1 曲輪…城を構成する区画化した区域の名称。
※2 堀切…曲輪を区切るために山の峰や尾根を堀で切ること。
写真:いなもと かおり
地図を見る西の丸には2棟以上の構築物があったことがわかっているそうです。復元された「西物見台」は大きな岩盤の上にあります。2.7×5.4メートルの矢倉は、掘立柱の構築物だということがわかります。
西の丸や本丸からは、名古屋・岡崎への街道や、足助城下の景色が一望できます。城を築く上で街道を押されるのは鉄則ですが、現在は美しい町並みを見せてくれる展望スペースへと変わっています。
また、連なる山々の中には紅葉の名所「香嵐渓」も眺めることができます。
写真:いなもと かおり
地図を見る本丸には「高櫓」と「長屋」が復元されています。
高櫓とは、江戸時代の天守閣にあたるものです。木造で築かれ、当日の様子をできるだけ忠実に再現しようとされています。1階は居住空間や、雪隠(トイレ)などがあり、2階には、いざという時に護衛を忍ばせる「武者隠し」までもが再現されています。
発掘に基づく復元の城は全国的にも珍しく、高櫓だけではなく物見台や長屋など、それぞれの機能を持った構築物を総合的観点から見られる城はあまりありません。さらに、復元された足助城は山城であるため、稀少的価値の高い城跡だということがわかりますね。
写真:いなもと かおり
地図を見る全国的に珍しい復元された山城という価値のある城ですが、紅葉の観光名所として、あまり知られていない隠れたスポットともなっています。
「香嵐渓」へ向かう道は車が並び、観光バスも加わって渋滞で疲れてしまうこともしばしば。もっと静かな場所で、紅葉や景色も楽しみたいという人には、足助城へも足を運んでみてください。歴史も学べて一石二鳥ですよ。
足助城は「香嵐渓」の東に位置し、空いていれば車で十数分と近い場所にあります。年度によって異なりますが、紅葉の見事は11月中旬〜下旬頃です。
初夏秋冬を楽しめる日本。過去にタイムスリップできる城巡り。両者が重なれば無敵の観光スポットになります。一年中楽しめる足助城ですが、秋の季節には美しい豊田市の景色と紅葉を楽しむこともできます。開園時間や入園料はリンクしたサイトで確認して下さい。あなたも「足助城」にワクワクどきどきする旅にでかけてみませんか?
この記事の関連MEMO
- PR -
このスポットに行きたい!と思ったらトラベルjpでまとめて検索!
条件を指定して検索
(2024/4/20更新)
- 広告 -