本尊の不動明王像は、人皇58代光考天皇の御勅令により彫刻され、京都御所に安置されました。その後、事変により武州吉見領に移設されましたが、長暦3年(1039)、利根川の洪水により加須に流れ着き殿堂を建設し安置されました。当時、岡村という地名でしたが、不動明王が移ったことから不動ヶ岡と改称しました。
境内の北側にある総欅作りの黒門は、行田の忍城の北谷門から移築されたもので、加須市の有形文化財に指定されています。また、不動堂には徳川吉宗の頃とされる「倶利迦羅不動剣」の奉納品が納められています。倶利迦羅不動剣は公開されていませんが、「岩の上に立てられた剣に不動明王の化身である龍が巻付き剣を飲み込もうとしている様子を示している」と説明されています。
總願寺では例年、1月に新春大護摩供修行、初不動大祭、2月には、350年以上の歴史を持つ「節分会・鬼追い豆まき式」が行われ、毎月第4日曜日には骨董市が開かれています。
毎年9月28に開催される秋季大祭「柴燈護摩火渡り式」は、約160年以上前から行われてきた行事で「この火を渡れば不動明王の浄火によって人間の業や煩悩が焼き尽くされすべての願いが叶う」と言われています。
不動堂内での護摩供養が終わると。その火を野外の壇に移し火渡り式が始まります。移された火の中で白装束の行者が祈祷する様は、見ている側がハラハラとしてしまいます。壇の火は3メートルほどに燃え上がり、その火が収まり灰に変われば行者から順番に一般参加者の火渡りとなります。
平成26年には90年ぶりに剣渡り式が行われました。火渡り式の終了後には真剣白刃を13段の梯子に見学者が注目します。静まり返った会場に一人の行者が祈りを唱えゆっくりと真剣の上を素手、素足で登っていきます。
剣渡り秘法は、「木食一心行者により秘法として伝えられた神剣加持の大法は、一心行者が木曽御獄山清滝傍らの岩窟に篭り、木食千日の大苦行を厳修し感得した大祈祷法で秘法中の秘事」とあります。
また、90年ぶりの復活については、「交通災厄後を絶たず、ますます多発の現時、心を正して念力神通の祈り願いを篭め、神剣加持の功力によって災厄を免れん事を祈る」とされています。
見学者の全員が息を飲む中、13段の真剣を上り、そして下った行者に熱い拍手が起こりました。
利根川が流れる加須では、農業用地の整備により米の裏作として麦の生産がされるようになりました。約200年前、利根川の渡し舟や不動ヶ岡不動尊總願寺の門前で参拝客にうどんをふるまったのが、加須のうどんの始まりといわれています。
加須のうどんは、冷たい汁に付けて食べるざるうどんが一般的ですが、冷たい胡麻風味の汁に付けて食べる冷汁うどんや埼玉B級ご当地グルメ王で優勝した肉みそうどんもおすすめです。
「手打ちうどん・そば子亀」は人気のお店で、冷汁うどん発祥のお店と言われています。昔ながらの製法を、頑固に受け継ぎ心を込めた素朴の味わいを大切にしています。良質の水と厳選された小麦粉と塩を使った打ち立てのうどんが特徴のお店です。
「登治うどん」の創業は1926年。定番のメニューは、冷・温のうどんとおそばで掻揚げ、たぬき、きつねや海老天、ワカメ、納豆などが並びます。このほかに冬は伊達巻の入った鍋焼きうどん、夏には紫蘇とキュウリの冷汁や、冷たい汁にとろろが入った冷とろろなどの季節限定のメニューがあります。
こちらのうどんも子亀と同様に白く透き通っていて艶々としています。両店共に、しっかりとした腰があり、なめらかな食感です。比べてみると、子亀のうどんは少し柔らかくモチモチとしていて、登治のうどんは切り口が立っていてより弾力が強いようです。
何方のお店も土、日のお昼時には並ぶことの覚悟が必要で、その待っている時間には、子亀は美味しそうな醤油汁の香りがして、登治は香ばしい胡麻油の香りがします。
護摩の火は、不動明王の智慧を象徴し薪は煩悩を表しています。護摩祈祷は煩悩と厄を、焼き払い、それぞれの願いがかなう祈念する行事です。火渡り式には一般参加もあり、護摩木に願い事を書けば信徒が祈祷し火にくべてくれます。
火渡りは、薪が炭になった状態で始まりますが、くすぶった炭の中を歩くにはほんの少しの勇気が必要です。しかし、不動明王の浄火により煩悩が焼き尽くされ、全ての願いごとがかないます。ぜひ参加をして願い事をかなえてください。
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