東大寺大佛の源郷、柏原山麓(南大阪)・幻の智識寺跡を歩く

東大寺大佛の源郷、柏原山麓(南大阪)・幻の智識寺跡を歩く

更新日:2015/08/27 17:14

飛鳥・天平時代の大和と切っても切れない繋がりのある河内は、近鉄大阪線の法善寺駅から大和国分駅をつなぐ国道170号線上にその痕跡を示す史蹟が密集しています。

とりわけ、今は幻の寺となった智識寺は、聖武天皇が東大寺大仏を建立するきっかけとなった重要な寺院。

今回は河内の高尾山を中心に麓の神社仏閣や史跡をたどり、古代大和がお手本とした文化先進地帯としての河内の魅力を再発見いたしましょう。

当地の台風の目、鐸比古鐸比売神社

当地の台風の目、鐸比古鐸比売神社
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鐸比古鐸比売(ぬでひこ・ぬでひめ)神社は、背後の高尾山(278m)頂上の磐座をご神体とし、かつては山頂に祀られていました。
この「ぬで」に鐸の字が当てられているのは、この山が銅山であったことの名残りです。

この地の開拓にあたった渡来人の秦氏の職能集団は、潤沢な資金を出し合って智識寺に毘盧遮那仏を建立しました。
その大佛を拝した聖武天皇が、東大寺大佛建立を思い立ったことは有名です。
まずは、この神社に詣で、古墳群が多数口を開けている高尾山に登りましょう。

高尾山磐座から高井田山へ

高尾山磐座から高井田山へ
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頂上の磐座には小詞が祀られ、この麓の神社がここにあったことを示しています。登山道のところどころには古墳が口を開け、内部をのぞくこともできます。

この高尾山からやや南の高井田山にかけては、おびただしい数の古墳が群集し、高井田山には史跡高井田横穴公園があります。
凝灰岩の岩盤に横穴を掘った石室の入口から石棺も見物でき、発掘成果を解説する柏原市立歴史資料館も必見です。

河内平野はこの高井田で東西に大和から河内へとそそぐ大和川によって分断されます。

その川辺の高井田集落には高さ1.7m、幅1mほどの凝灰岩の石棺の蓋に刻まれた阿弥陀坐像があります。
裳懸座(もかけざ)という古式の様式から藤原時代のものと推定される珍しい石棺仏が道路脇に実に無造作に置かれています。

写真は高尾山から南西方面の大和川を眺めたもの。

瑠璃光禅寺石仏と若倭姫神社

瑠璃光禅寺石仏と若倭姫神社
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鐸比古鐸比売神社から、国道170号線を北にとり山ノ井町の道を右方の山手にとると、まもなく医王山瑠璃光禅寺がみえてきます。
境内には山から湧出した小流れがあり、小橋を渡ると若倭姫神社がひっそりと佇み、全体に苔むした別天地を成していて、つい長居してしまうのはいたしかたありません。

ここの小堂にはやはり凝灰岩製の67cmの石棺仏が安置されており、施無畏・与願印の阿弥陀如来像(写真中央)があり、その脇侍の菩薩(写真左)は頭部が欠失していますが、像の形や蓮弁の様式から藤原期の古式仏と推定されるものです。

この瑠璃光寺で英気を養ったら、いよいよ智識寺の探索をはじめましょう。

智識寺跡は河内ワインの中心地。

智識寺跡は河内ワインの中心地。
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先ほどのぬでひこぬでひめ神社をやや南に下ったところには、柏原ワイナリー(カタシモ・ワイン&フーズ)があり、この建物の裏手あたりにワイン直売所があります。
残念ながら試飲はできませんので、まずワインを買って、テイスティングする場所を探しがてら、智識寺跡を歩きましょう。

それと言うのも、この柏原ワイナリーの門前には智識寺跡の石柱がポツリと立っているからです。
目印はこれだけ。実に心細いかぎりですが、よく探せばそれなりに痕跡は見つかるもの。
ここから南の大和川に遮断される手前の太平寺交差点の旧智識寺中門跡と言われる地蔵堂あたりまでが智識寺といわれますので、往時は広大な寺域を誇っていたと思われます。

智識寺跡のど真ん中にある石神社

智識寺跡のど真ん中にある石神社
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智識寺跡の石柱から大阪府指定天然記念物の樹齢800年の大楠のある石(いわ)神社までの集落は、石畳の道が続きます。これは智識寺の寺域をそれとなく示しているのかもしれません。
この、トイレ・休憩所完備の石神社で河内ワインを試飲するのが良いでしょう。
しかも、ここにはまぎれもない智識寺の痕跡を示す礎石が手洗い石として残されています。

ワインを味わいながら、想像力を総動員してかって実在した智識寺に荘厳された風景にタイムスリップしてをみるのも一興です。
よしんばそれができなくても、河内ワインの軽妙な味わいは深く舌に残ります。

智識寺は東西に2塔をもつ薬師寺式伽藍配置の寺で、この花崗岩製の礎石は東塔刹柱礎石と呼ばれているもの。この上に建っていた塔は48.8mの五重塔と推定されています。
聖武天皇がこの寺で拝した智識寺大佛は高さ18mと推定されており、民間人が真心で創り上げたこの大寺院そのものに感極まりない思いを抱かれたのでしょう。
天皇はそののち何度もくじけそうになりながら、一世一代の事業として世界一の金銅仏を東大寺に創り上げるのです。その初心こそがこの智識寺の大佛だったのです。

物証の痕跡がほとんど残されていない史蹟をめぐり、その原風景とそこに立った人の思いを反芻するのはもっとも高度な旅の楽しみといえます。
そして、この土地の記憶の中核を成すのは、高尾山の銅だとの思いに至れば、あなたはもう旅の達人です。

まとめとして

大和川が難波にそそぐ南河内は、近年余り脚光を浴びることはありませんが、近鉄河内国分駅、あるいはJR高井田駅の間にある国豊橋から眺める大和川の光景は河内の嵐山と呼ばれるほどの素敵な場所です。

ここから東高野街道とよばれる国道170号線を縫いながら北上する界隈には歴史を裏から支えてきた史蹟が目白押しです。

地図を片手に、どこを歩いても、その時は何の感慨もなく終わってしまっても、ある時ふと振り返ってみるととんでもない場所を訪ねていたのだと気づかされることが度々あります。
今回の旅もそんな旅のひとつです。是非トライしてください。

掲載内容は執筆時点のものです。 2015/05/17 訪問

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