写真:井伊 たびを
地図を見る「立山曼茶羅」は、立山信仰の世界感を大画面に描きだしたものだ。現在、県内外の各地から40点以上発見されている。
江戸時代、立山の衆徒らは、越中立山から遠く離れた地に住む人々や、登山を禁止されていた女性たちへ、この曼茶羅を用いて「絵解き」という方法で立山信仰をひろめ、立山の神仏との結縁や立山への参拝を勧めた。現存する「立山曼茶羅」のなかには礼拝画として用いられたものもある。
ところで、立山博物館の中心施設であるこちらの「展示館」には、「立山曼茶羅」の他にも「立山の自然、歴史、文化」に関する常設展示や企画展示を行っている。
「第一展示室」のテーマは、「立山信仰の舞台」で、立山の自然について、立山の成り立ちから紹介している。「第二展示室」のテーマは、「立山信仰の世界」で、立山の歴史や文化について詳しく紹介している。
およそ1時間かけてじっくり観覧すれば、神秘の霊峰「立山」の全てを学び尽くす!ことができる。
写真:井伊 たびを
地図を見る「展示館」に隣接する「教算坊」は、立山中宮寺にあった三十三宿坊のひとつで、参詣者登拝の拠点となった施設だ。ここでは、単なる宿泊だけでなく、宗教的儀式、さらには登拝案内なども行っていたとされる。
この建物は、文化文政(1820年前後)頃に建てられたとされ、「民家」「宿」「寺」の三つの機能を併せ持つのが大きな特徴だ。
池泉回遊式の日本庭園を、静かに歩みながら、歴史ある建物を望めば、霊峰「立山」をめざした当時の登拝者が、抱いたであろう心境を感じとれるだろう。
写真:井伊 たびを
地図を見る江戸時代に加賀藩主から、この地・芦峅寺に寄進された「神輿」の豪華さに感動!こちらは、必見の価値あり!だ。
ところで、こちらの「山岳集古未来館」は、平成25年(2013年)7月にオープンしたばかりの新しい施設だ。山岳文化に係わる資料を収蔵展示し、歴史的に形成された芦峅寺の山岳文化や明治以降の立山・黒部をはじめとする日本の登山史・登山文化を紹介している。
写真:井伊 たびを
地図を見るおんば堂川を境に東側を彼岸、西側を此岸とし、両岸を結ぶ架け橋として「天の浮橋(あまのうきはし)」とも呼ばれた「布橋」。江戸時代、芦峅寺中宮寺の最も重要な行事である「布橋灌頂会(ぬのばしかんじょうえ)」の際に、閻魔堂からうば堂まで白布を敷きつめ、目隠しした女性たちが僧侶に導かれ、この橋を渡ったとされる。
橋の規模については、長さ25間(25菩薩)、高さ13間(13光仏)、擬宝珠6個(6導世界)、橋板108枚(煩悩の数)など仏教にちなんだ数字が用いられている。
こちらの「布橋」は昭和45年に復元されたものだ。
写真:井伊 たびを
地図を見る「遙望館」は、立山博物館の中心施設のひとつだ。立山の自然、歴史や信仰、さらには立山曼茶羅の世界を、3面横15mの大型映像で紹介している。
「遙望館」の手前に広がるグリーンヤードは、「うば堂基壇」だ。かつて、69体のうば尊像が安置され、極楽往生をかなえるところだった。
江戸時代には、立山は地獄と極楽の世界をこの世で体験できる山として、全国的な信仰を集めるようになった。そして、最盛期には一夏6,000人もの人々が登拝したという史実もある。
現在も多くの登山家から愛される「立山」を学び尽くせる「たてはく」(立山博物館)。登る前に訪れてよし!登り終えてから訪れてもまたよし!のオススメできる施設だ。
また、「立山博物館」の付帯施設として、レジャーランド「まんだら遊苑」が隣接地にある。立山に伝わる「立山曼茶羅の世界」を五感をテーマに立体で表現した、家族連れで楽しめる施設だ。是非、あわせて訪れてみたい!
さらに、展示館前の道路を立山方面へ、車で30分ほど走れば落差日本一の「称名滝」がある。足を伸ばしてみてはいかがだろう?
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(2024/3/29更新)
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