歴史ミステリー満載!パワースポット・宮津「元伊勢籠神社」

歴史ミステリー満載!パワースポット・宮津「元伊勢籠神社」

更新日:2018/12/21 16:24

松縄 正彦のプロフィール写真 松縄 正彦 ビジネスコンサルタント、眼・視覚・色ブロガー、歴史旅ブロガー
宮津、天橋立のそばに「元伊勢籠神社」があります。この神社は歴史の古い神社ですが、実は宮司家自体が天孫族の子孫であるといわれ、いろんな歴史ミステリーがあるのです。卑弥呼、空海やかぐや姫も登場する歴史ミステリー、知っておくとパワーをより授かるかもしれません。

元伊勢籠神社とはどんな神社なの?

元伊勢籠神社とはどんな神社なの?

写真:松縄 正彦

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元伊勢籠神社(写真)は丹後の一宮で、主祭神は天照大神の孫のヒコホアカリノミコトです。宮津は天橋立で有名ですが、もともと天橋立そのものが神社の参道であったといわれ、宮津も大きな宮(元伊勢籠神社)のある港を意味するといわれます。

読み方は、籠(かご)を「コ」と読む“コノジンジャ”です。主祭神が籠の船で竜宮に行かれたとの伝承があり籠神社と記されたのですが、古代、籠を「コ」と発音した事でこの名称になったとされます。
また、伊勢神宮に奉じられる前、宮中を出られた天照大神が、最初に移られたのが奥宮の眞名井神社でした。これが元伊勢神社の由来です。

それでは早速、籠神社に参拝しましょう。参拝時に、奥を見てください。高欄上に5色(青、黄、赤、白、黒)の“座玉(すえたま)”が見えます。これは伊勢神宮正殿以外にはないもので、社殿も伊勢神宮とほぼ同じ“唯一神明造り”になっています。

向かって左手に摂社・末社が並んでいますが、その先の境内出口に亀に乗った人物像があります。これは「倭宿祢命」の銅像です。ここで説明看板をお読みください。実はこれが歴史ミステリーの1つに繫がるのです。

海部氏と天孫族

海部氏と天孫族

写真:松縄 正彦

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この神社の宮司家は海部氏です。倭宿祢は海部氏の祖先のお一人。名前からわかるように海部氏は海人族です。
説明看板には、倭宿祢命(写真)は神武天皇が東征したときに亀に乗って現れ、天皇の水先案内をし、また大和建国の第一の功労者であったと記されています。これは古事記・日本書紀(記・紀)の記載そのものです。

しかし看板では最後に“海氏と天系との同一出自をも示唆するようである”と説明されています。この最後の説明お分かりになるでしょうか?
宮司家には、家系図である“海部氏系図(国宝)”が伝わっています。これによると、主祭神のヒコホアカリノミコトが海部氏の祖で、現在まで82代にわたり連綿と続いてきた事になっています。

天照大神の子孫が天孫(天皇)系ですから系図上、海部氏と天孫族は親戚筋となり、看板の説明となったのです。但し、微妙な内容なので“示唆する”と慎重に表現されているのですね。

また、記・紀ではニニギノミコトが九州に降臨されたと記されています。これが今までの通説です。
しかし海部氏系図では、ヒコホアカリノミコトが九州ではなくここ丹波、それも籠神社の海の奥宮(冠島)に降臨されたと記されているのです。さらに、ヒコホアカリノミコトの九世の孫として「日女命」の名が記されているのですが、この命の又の名が卑弥呼ともいわれるヤマトトビモモソヒメなのです(日女命の名は11世孫としても出てきます)。

天照大神がまず最初にこの神社にお移りになった理由が良く分かるお話ですが、記・紀と異なる天孫降臨、卑弥呼などすごい話が出てきます。

ワクワクするお話ですが、この辺で奥宮に行ってみましょう。

奥宮・眞名井神社

奥宮・眞名井神社

写真:松縄 正彦

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元伊勢籠神社の奥宮である「眞名井神社」(写真)の入口には水が湧き出しています。これが有名な、霊験あらたかといわれる“天の眞名井の水”です。大変おいしい水で、常に多くの人が汲みに来ています。 
また写真両脇に鎮座する石像を見てください。この神社では狛犬ではなく龍が珠をもって鎮座されています。

眞名井神社は古い神社の形式が保たれ、“磐座(いわくら)”が祭られています。日本最古のパワースポットとも言われますが、約2500年前の古代の祭祀場跡との事で、奥は禁足地になっています。

次にこのお水とも関係するミステリーを紹介しましょう。

かぐや姫にまつわるミステリー

かぐや姫にまつわるミステリー

写真:松縄 正彦

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海部氏の31代当主の娘に「厳子姫(いつこひめ)」という方がおられました。天の眞名井の水(写真)を飲み、美しくしとやかな女性になられたといわれます。
姫は、皇太子(淳和天皇)の第4妃として入内(眞名井御前と称した)されましたが、その後、宮中を出て仏の道に入られました。この時、灌頂を施したのが「空海」です。

眞名井御前は33才で亡くなられたのですが、空海のいる方向に向かい、合掌したまま亡くなったとされます。しかし死の翌日には空海も亡くなっていたのです。なんというタイミングでしょう。お2人はどんな関係だったのでしょう?

「かぐや姫」の話をご存じでしょう。この物語、作者不詳とされていますが、一説では”空海が作者で、かぐや姫のモデルは眞名井御前”とされているのです。
ちなみに、海部氏系図によればヒコホアカリノミコトの子供は「天香語山命(アメノカゴヤマノミコト)」。この命が天の眞名井の水を掘り当て、これにちなんで、眞名井神社のある山を古く”香語山”といったといわれます。”かぐや”に通じますね。

また空海は雨乞いの祈祷でも有名ですが、眞名井御前から与えられた、珠(たま)を雨乞いに用いたのではないかともいわれます。海部氏が奉ずる海神の象徴である潮充珠潮干珠の二珠です。そう、先の写真の龍や倭宿祢命も珠をもっていましたね。

空海と眞名井御前、お二人は信頼しあっていた事からこのような逸話が出てきたのでしょう。

静かに参拝を・・・

さて宮司家が天孫族と同じかもしれない元伊勢籠神社、如何でしょうか?

話の真偽とは関係なく、境内は歴史を感じさせ、静寂さにつつまれています。
特に奥宮の眞名井神社は木々に囲まれ、磐座周囲の空気が澄んでいるのが感じられるはずです。天の眞名井のおいしい水を飲んでから磐座にむかって、静かに手を合わせましょう。宮司家の歴史を知っておくと、神様からより多くのパワーを授かるかもしれません。また、眞名井御前のように信頼できる人に出会えるかも・・・。

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掲載内容は執筆時点のものです。 2015/06/12 訪問

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