写真:Naoyuki 金井
地図を見る《建長興国禅寺》の扁額が、何と畳6畳分の大きさと云う堂々とした重量感のある山門が、重要文化財の『三門』で“三解脱門”の略称です。
この三解脱とは、悟りに至るために通過しなければならない三つの関門のことと云われていますが、禅とはどうも理解しにくい世界です。
この禅宗の祖が七転八起のダルマさんのモデル《達磨大師》で、現在でもその流れは中国で脈々と続いています。
その禅が日本に伝来したのが鎌倉・室町時代で、日本に渡来した禅は46流派あったのですが、やがて淘汰され24流となり、現在の禅宗は臨済宗・黄檗宗・曹洞宗などが一般的に知られています。
そうした禅宗の歴史の中で1253年、日本初の禅寺が鎌倉に生まれたのです。
写真:Naoyuki 金井
地図を見る建長寺開創の際、最初に造られた堂宇が『仏殿』で、殿内には時の執権・北条時頼の梁碑銘がかかげられていました。
当時、鎌倉が事実上の日本の首府で、北条時頼が禅宗に深く帰依していたことから、1952年に鎌倉の大仏の鋳造を始め、翌年日本の興隆と北条家菩提の為、この地に建長寺が創建されたのです。
建長寺建立前にも建仁寺(京都)や寿福寺(鎌倉)等の禅宗系寺院があったのですが、当時は禅宗との兼学であったことから、純粋に禅の道場を開いた建長寺が日本初の禅寺となったのです。
なお、現在の仏殿は、東京・増上寺の徳川秀忠夫人“江”の霊廟を建て替えの際に移築したもので、本尊の地蔵菩薩などが祀られています。
写真:Naoyuki 金井
地図を見る時頼によって開基された建長寺の開山は、当時鎌倉に来ていた中国の禅僧“蘭渓道隆”で、建長寺に入寺した蘭渓道隆は、きびしい規則を設けて作法を厳重にして門弟を戒めたのです。
この戒めを自らが書いたものが《法語規則》 で、1271年に描かれた肖像画が《絹本淡彩蘭渓道隆像》。更に円覚寺、常楽寺の鐘とともに“鎌倉三名鐘”のひとつである鋳物師物部重光の制作した『梵鐘』は、建長寺創建当時からのもので、蘭渓道隆による銘文中の“建長禅寺”は日本における「禅寺」の語の初出と云われています。
これらの蘭渓道隆に纏わる物は現在国宝となっており、梵鐘はいつでも見学することができます。
写真:Naoyuki 金井
地図を見る現在でも厳しい修行が行われている建長寺は、観光目的で立ち入り禁止になっている僧堂があるくらいで、少し敷居が高そうな感じがありますが意外と簡単に禅の体験ができます。
境内の奥にある京都から移築された『方丈』では、毎週金・土曜日夕方5〜6時に行われる座禅会と年2回宿泊する座禅会があり、毎週の座禅会は無料で申し込みも不要です。
そして方丈の入り口門である《唐門》は、増上寺の江の霊廟から移築された重要文化財で、裏手にある《庭園》は、夢窓疎石の作といわれる史跡という見ごたえのある方丈。
日本初の禅寺で文化財や史跡に囲まれた中での座禅会は、これ以上ない貴重な体験の場なのです。
写真:Naoyuki 金井
地図を見るその昔、建長寺の坊主が床に豆腐を落としてグチャグチャにして困っていると、蘭渓道隆がその豆腐で野菜を煮込み、大変美味しい“建長寺汁”が出来上がり、これが訛ったのが『けんちん汁』と云われています。
野菜をごま油で炒めるのは、まさしく中国料理の手法で、蘭渓道隆を始め中国人が大勢いた建長寺では、中国文化が息づいていたと考えられ、けんちん汁が存在していたことは否定できないと考えられているのです。
建長寺からの帰りがけに、門前にある『鎌倉五山』などのお店で、禅宗の味、けんちん汁を味わってみてはいかがでしょうか。
いかがですが、日本初の禅寺建長寺は。
国宝を始めとして文化財の多く見られる堂宇など観光目的としても有名なくらい見所が多いのですが、少し禅をかじれば見方もちょっと変わるかもしれません。
是非、違った角度で建長寺を参拝してみてください。
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(2024/3/29更新)
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