写真:井伊 たびを
地図を見る真言宗東寺派「百観音明治寺」は、明治45年7月30日、明治天皇の御崩御に接した人々の深い悲しみや、世の中の混乱を見聞きされた「榮照法尼(えいしょうほうに)」という尼様が、開基されたのがはじまりです。
榮照尼は、観音石像の建立を志し、明治天皇への深い感謝と哀悼の祈りを捧げるために、大正元年十二月十七日に最初の開眼供養を行いました。
最初の観音石像の建立後、その趣意に賛同された多くの人々の尽力により次々に観音石像が建ち並び、大正6年に本堂完成。以来、祈願の寺「百観音」として、大勢の参拝者が訪れています。
現在の本堂は昭和63年に再建されたもので、平成6年には納骨堂である、画像右端の「多宝塔」が建立された。
写真:井伊 たびを
地図を見る大香炉わきの木戸を開けたときから「百観音」を巡る「心の旅路」が始まります。
ところで「百観音」とは、近畿一円に広がる西国三十三観音と、関東地方の坂東三十三観音、それに秩父周辺に広がる秩父三十四観音の札所を総称したものです。
それぞれの「百札所」を巡礼して旅することは、江戸時代以前から盛んに行われてきました。大勢の人々は、各々の願いを背負い、この「百観音巡礼」をすることで「心の安らぎ」を得ようと何ヶ月もの旅路を辿ったわけです。
この庭園に立ち並ぶ観音石像は、その百札所にお祀りしてあるそれぞれの観音様のお姿をいただいて石に刻んだもので、これを「写し霊場」と呼んでいます。現在では、番外の観音様も加わり百八十体以上になっています。
こちらにお並びの観音様を順次拝んで行けば、「百観音巡礼」をしたのと同じ「ご利益」を授かり、すべての観音様との「縁結び」ができるということでもあります。
写真:井伊 たびを
地図を見るこちらのエリアには、夫婦円満・良縁成就が叶う「妻夫観音様」や、清浄をつかさどり、安産・子育ての守りとして、信仰されている「准胝観音様(じゅんていかんのんさま)」などがいらっしゃいます。
写真:井伊 たびを
地図を見る庭園のほぼ中央にある「十三重の塔」の奥が、西国三十三観音様のエリアです。こちらには、懐妊成就・安産祈願の「子育て観音様」、得道成就の「みちびき観音様」、諸障退散・霊障消除のお働きをくださる「岩戸観音様」などがおられます。
写真:井伊 たびを
地図を見る「十三重の塔」のある庭園中央辺りが、坂東三十三観音エリアです。観音様はいつも慈悲の心を持って人々を救ってくださる仏さまです。種々の苦しみや悩みに応じて姿を変え、時にはやさしく、時には厳しくお助けくださいます。
人生は順風満帆の日々ばかりではありません。人の力なんて無力だ!と、つくづく思えるときがあります。心の拠り所。人生の小休止。明日への希望の光。それぞれの思いを胸に訪れてみたい!お勧めできるスポットに間違いありません。
こちらの観音様の中にはきっと「このお顔に出逢えてよかった!」と、心の中から思われる石仏が見つかります。そのとき、その観音様のお顔をじっと見つめ合掌し、「南無観世音」と唱えれば、その石仏は「あなたの観音様」になってくださるということです。それは、本来冷たい石仏である「観音様」が、温かい心で微かな笑みを浮かべ、あなたと縁が結ばれる瞬間なのです。
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(2024/4/23更新)
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