ペルシア帝国の古代遺跡パサルガダエとナグシュ・ロスタムで悠久の歴史をたどる!

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ペルシア帝国の古代遺跡パサルガダエとナグシュ・ロスタムで悠久の歴史をたどる!

ペルシア帝国の古代遺跡パサルガダエとナグシュ・ロスタムで悠久の歴史をたどる!

更新日:2015/08/02 16:30

菊池 模糊のプロフィール写真 菊池 模糊 旅ライター、旅ブロガー、写真家

イラン南部には大遺跡ペルセポリスだけでなく、興味深い歴史的遺跡があります。
中でも、パサルガダエはペルシア帝国の最初の都であった重要遺跡で、ユネスコの世界遺産に指定されています。
また、ナグシュ・ロスタムは巨大磨崖に掘られた壮大な王墓群で、歴史の教科書に載っている有名なレリーフもあります。
どちらも必見の遺跡で、ペルセポリスから近いので、ぜひ併せて訪問され、悠久の歴史に思いを馳せて下さい。

パサルガダエはペルシア帝国の最初の都だった!

写真:菊池 模糊

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パサルガダエは、ペルセポリスの北東87kmにあります。
紀元前546年に、アケメネス朝ペルシア帝国の最初の首都として、キュロス2世により建設が開始されました。
ここは、パサルガダエ考古遺跡として世界遺産に登録されているだけでなく、ペルシア式庭園のひとつとしても世界遺産に登録されています。(世界遺産に登録されているペルシア式庭園は、カーシャーンのフィーン庭園やヤズドのドラウト・アーバード庭園、シーラーズのエラム庭園などがありますので、下記MEMO欄にリンクされている「たびねす記事」を参照して下さい)

パサルガダエの庭園は、イラン最初の四分法に基づいて建設されたペルシア式庭園で、非常に貴重なものですが、現在では遺構が残っているだけです。

写真はパサルガダエの宮殿と庭園の跡ですが、直線的なラインにより区分されています。
これを見ると、現在イスラム的とされる庭園様式の淵源が、はるか紀元前のこの場所にあったことが分かります。

なお、パサルガダエとは、「ペルシア人の本営」という意味です。かつてはペルシアの中心として栄えたのでしょうが、2500年経った今は、茫漠たる荒野が広がるばかりです。

パサルガダエのキュロス2世墳墓は堂々たる建築物だった!

写真:菊池 模糊

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パサルガダエ考古遺跡で最も重要な場所は、キュロス2世の墳墓です。
キュロス2世は、紀元前6世紀に、古代オリエント諸国を統一して空前の大帝国を建設しました。ユダヤ教徒をバビロン捕囚から解放しエルサレムに帰還させた王として旧約聖書にも載っており、現代のイラン人はキュロス2世をイランの建国者としています。

写真を御覧ください。ピラミッド状の6段の階段の上に家形石室墳墓が乗っている独特の形をしています。
このキュロス2世の小ピラミッド状の墳墓は、次段落のナグシュ・ロスタムのゾロアスター教の磨崖洞穴式墳墓とは全く異なります。
諸説ありますが、キュロス2世が征服したリディアやエラム、バビロニアなどの様式の影響を受けたと推測されます。

BC331年にペルセポリスを破壊しつくしたアレクサンドロス大王(アレキサンダー大王)は、この墓にも至り墓室をあばきました。その中には、金のベッドや杯、テーブル、棺桶、高価な宝石装飾品などとともに、キュロス2世の墓碑もあったそうです。

また、7世紀にササン朝ペルシア帝国を滅ぼしたアラブ人イスラム教徒軍は、この地にも来襲しましたが、当時の墓守は、「パサルガダエはキュロス2世の墓ではなくソロモン王の母を奉じて造られたもの」と説明し、破壊をまぬがれたと伝えられます。
そのため、墓碑は、クルアーンの韻文に取って代わられ、ソロモン王の母の墓として伝承保存されてきたのです。

ナグシュ・ロスタムは巨大な磨崖に彫り込まれた王墓だった!

写真:菊池 模糊

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ナグシュ・ロスタムは、ペルセポリスの北6kmにある巨大な磨崖遺跡です。
ここは、BC6世紀からBC5世紀にかけて造られたアケメネス朝ペルシア帝国の王墓群です。
帝国の最盛期に君臨したダレイオス1世(ダーラヤワウ1世またはダリウス大王とも表現)をはじめ、クセルクセス1世、アルタクセルクセス1世、ダレイオス2世の四基の王墓が認められます。つまり、父−子−孫−曾孫と、ダレイオス1世から連続する四代の王の墓がここにあるわけです。
なお、ダレイオス2世の次代以降の王であるアルタクセルクセス2世、3世、ダレイオス3世の墓はペルセポリス山腹にあります。

ナグシュ・ロスタムの王墓は、いずれも巨大な磨崖に大きな十字形が彫り込まれ、その中心に穴がある形になっています。
これは、曝葬(鳥葬)の後、磨崖横穴に埋葬するゾロアスター教の葬制の最も巨大な形だと考えられます。
迫力満点ですが、異様な存在感もあり、紀元前の巨大帝国の権力誇示の装置でもあることが実感されます。

ナグシュ・ロスタムは英雄の絵を意味します。ナグシュとは「模様、絵」のことであり、ロスタムとは『王書』(シャー・ナーメ)に出てくる伝説の英雄の名前です。

この王墓群の前には、ゾロアスター教の神殿とされる石造りの遺跡もあります。
四角の建物で、シンプルな造形からゾロアスター教神殿らしく思われますが、諸説あり詳しいことは判明していません。

王権神授のレリーフはササン朝ペルシア誕生の瞬間だった!

写真:菊池 模糊

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上記の王墓が造られたアケメネス朝ペルシアがアレクサンドロス大王に滅ぼされてから約500年後のAC3世紀に、ササン朝ペルシア帝国が勃興しました。その初代君主アルダシール1世は、オリエントの支配者として「エーラーンの諸王の王(シャーハーン・シャー)」という君主号を名乗り、このナグシュ・ロスタムに王権神授のレリーフを彫らせました。

写真を御覧ください。
右側には、バルサム(聖枝)を左手に持ったゾロアスター教のアフラ・マズダ神がおり、左側にいるアルダシール1世に王のシンボルであるリボンのついたリングを渡しています。
また、アフラ・マズダ神が乗っている馬は悪神アフリマンを踏みつけており、アルデシール1世が乗っている馬はパルティアの王を踏みつけています。

アルダシール1世は、ゾロアスター教の神官階層からの出自であることから、ゾロアスター教を重要視し、アケメネス朝ペルシアの復興をめざしました。そのため、栄光のアケメネス朝最盛期4代のダフマ(ゾロアスター教的王墓)のあるこの磨崖に、レリーフを刻んだのです。
ここで、われわれ後世の見学者は、ササン朝ペルシア帝国誕生の場面を見ていることになるのです。

このレリーフは、ナグシュ・ロスタム遺跡の一番端を回り込んだ場所にありますので、見逃さないように注意しましょう。

ローマ皇帝を捕虜としたレリーフは歴史の教科書に登場する場面だった!

写真:菊池 模糊

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ササン朝ペルシア帝国のアルダシール1世の後を継いだシャープール1世は、対外戦争や征服事業に従事し、強勢を誇り王権を盤石なものにしました。
ローマ帝国と何度も戦争をしましたが、ほぼペルシア優位に展開し、AC244年にはローマ皇帝のゴルディアヌス3世を敗死させたとされます。このペルシア側資料が、ここナグシュ・ロスタムにあり「ゴルディアヌスは殺され、その軍隊は壊滅した」と刻まれています。

また、シャープフル1世は、AC260年にエデッサの戦いでローマ軍を破り、ローマ皇帝ヴァレリアヌス帝を捕虜としました。
この歴史的事実を記念して、ナグシュ・ロスタムのダレイオス1世の王墓の横下に、レリーフを刻ませたのです。

写真を御覧ください。右側の馬上のシャープール1世にひざまずいて命乞いをしている左下の人物がローマ皇帝ヴァレリアヌスです。
そのヴァレリアヌス帝の横に立っているのもローマ皇帝のピリップス1世(フィリップス・アラブス)で、ペルシアに降伏しメソポタミアからアルメニアまでペルシアの版図としてしまった人物です。
このように、ペルシア帝国のシャープール1世は、ローマ帝国に対する優位を誇示し、これ以後、「エーラーンと非エーラーンの諸王の王」の称号を名乗ったのです。

このレリーフは、世界史の教科書に載っている有名な場面なので、実際に目の前で見ると感激する方も多いことでしょう。

最後に

パサルガダエとナグシュ・ロスタムは、ペルセポリスに比べると規模が小さい遺跡ですが、ポイントが凝縮されているので、見学しやすい利点があります。じっくり観察しましょう。
いずれも、ペルシアの歴史を語る上で欠かすことのできない重要な遺跡ですので、ペルセポリスと組み合わせて観光することをおすすめします。
パサルガダエ→ナグシュ・ロスタム→ペルセポリスの順番で、アケメネス朝ペルシアの王墓の場所と様式が変化していきますので、そのことを頭に入れて、歴史の流れをたどって下さい。

なお、ペルセポリスについては、下記MEMO欄から「イラン・圧巻の歴史遺跡ペルセポリスで遥かな古代を体感する!」を参照して下さい。

掲載内容は執筆時点のものです。 2015/05/12 訪問

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