1969年に本牧埠頭関連造成用地の海面埋立てにより、庭球場、運動広場、池などの施設を整備し公開されました。
1989年に横浜市と上海市の友好都市締結15周年を記念して造られた「上海横浜友好園」と「トンボ池」は公園の人気区画のひとつとなりました。上海市の木、花のハクモクレンに因んで命名された「玉蘭庁」を中心に庭院、曲橋で結ばれ、背景となっている三溪園の緑と崖が独特の雰囲気を醸し出しています。
敷地が広大なため、家族連れなどにはお勧めです。時間を忘れて一日中楽しめます。夕方頃からは地元の住民の方達が犬の散歩やランニングをするために公園を訪れます。外国人の方もいらっしゃるので、インターナショナルな地域交流を垣間見る事ができます。
西洋館地区で道に迷ったら、この教会を探せばメイン通りに戻ってくることができます。坂道が多く、道が幾手にも広がっている中でまるで道標のごとく十字架が天にそびえています。
外国人居留地にフランス人神父、ジェラールが建てた横浜天主堂が前身です。ブラフ18番館とベーリック・ホールの間にあり、最寄のJR石川町駅から歩いて行くと10〜15分ぐらいです。現在の教会は1933年に再建されたものですが、フランスから贈られた教会の鐘と庭の聖母像は、天主堂時代のものが残されています。
十字架のとんがり屋根は山手の美しいシンボルになっており、西欧の建築様式をまぢかに見ることができる教会です。残念なことに内部撮影は禁止なので注意して下さい。
日本テニス発祥120周年を記念し建てられた、山手公園内にある記念館です。1876年に日本最初のローンテニス(芝生の上で行うテニス)が行われ、1878年に最初のテニスクラブが誕生しました。コートは2面から成り、この地からテニスが全国に広まっていきました。
ここではテニスウェアやラケットの変遷などを展示しています。山手とテニスの歴史だけでなく、ローンテニスの起源なども紹介。発祥当時の衣装や、まだラケットではなく皮手袋だった頃のラケットのようなもの?も公開されており、小さいながらも見所の多い場所です。
当時、貴婦人たちは馬車に乗り、バスケットに紅茶とお菓子を入れてクラブに集まりました。そして、ボンネットをかぶり、長いスカートに手袋という優雅な姿でテニスを楽しんでいたそうです。
ブラフ18番館は、関東大震災後にイタリア山庭園の一郭に移築された外国人住宅です。戦後は天主公教横浜地区の所有となり、カトリック山手教会の司祭館として1991年まで使用されていました。
外観は白い外壁と緑色に塗られた鎧戸のコントラストが見事で、思わず息を飲んでしまいます。そして、驚かされるのは窓の数の多さです。陽の光と風が室内のあらゆる場所に届き、海の匂いが穂のかに漂ってきます。フランス瓦の屋根、暖炉の煙突、南側のバルコニーとサンルームなど震災前の住宅の特徴を残しながら、震災後はその経験を生かし、防災を考慮したモルタル吹き付け仕上げとなっています。
館内は震災復興期の外国人住宅の暮らしを再現し、当時の横浜家具を復元展示。横浜家具はホテルニューグランドの本館でも使用されている格調高い家具で、無垢の木を材料とした丈夫で美しいデザインが特徴です。
横浜共立学園「山手214番館」は、設計、施工は不明ですが、スウェーデン領事公邸として使用されていた昭和初期の建築で、木造2階、地下1階の構造です。
大きな袴腰屋根をもち、2階の窓は屋根窓の形式をとっています。玄関ホールには階段があり、左右に主たる部屋を配する中廊下型のプランを採っています。玄関ホール西側に暖炉をもつ大広間、東側に洋室が2室、2階に寝室が3室配されています。1994年11月に横浜市指定文化財に指定されました。
学園敷地内にあり、現在は横浜共立学園の事務局として使われています。入場見学はできませんが、門外からでも北欧建築らしい、木材を巧みに使った華麗な外観を観ることができます。
元町がオシャレな街として存在し続けるのは、常に最先端の流行に敏感だからというだけではありません。ブームで終わることなく、一過性のものでない確固たる基本の「スタイル」が街全体に根付いているからです。
それは「シンプル」。建物もファッションも味も、全てがモノの本質を忘れていません。開港以来受け継がれてきた大切なものを忠実に守る。メインストリートの電柱を全国に先駆けて地中に埋め込み、景観の重要性を再認識させるなど、随所に元町のセンスが光ってます。
派手さと紙一重の繊細な心遣いは、繁華街とは違う洗練された華やかさであり、訪れるたときの居心地の良さはその積み重ねのうえに成り立っています。
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