ロマン漂う街!中国遼東半島の「大連」は“北の香港”

ロマン漂う街!中国遼東半島の「大連」は“北の香港”

更新日:2018/08/14 09:05

遼寧省大連市は中国東北部(黒龍江省、吉林省、遼寧省)の中で最も南に位置する遼東半島の最南端に位置し、広い中国では珍しく三方を海に囲まれた海辺の都市です。歴史のある町で、今もロシア、日本の統治時代の名残りが色濃く残った街です。現在は、中国の北東アジア国際港運センターとして急速に発展を遂げ、「北の香港」として知られています。

今回は、ロマン漂う「大連」の街の魅力を紹介します。

大連市街地

大連市街地
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漁村として存在していた大連の、都市としての歴史は1898年から始まりました。ロシアが遼東半島南部を租借し、商業の拠点を築き始めた年です。ロシア語の「遠方」という意味の「ダリーニ」と名付けられました。その後、1905年、日露戦争後のポーツマス条約で日本がロシアから租借権を譲渡され、日本の統治が始まりました。このときに「大連」に改称されました。

1984年中国沿海解放都市の指名を受け大連経済技術開発区の建設が着手されました。日本企業の進出も多く行われ、現在まで大連市への進出が許可された日系企業の数は4000社以上にもなっています。

大連は、緯度で見ると日本の仙台市、アメリカ合衆国のサンフランシスコ市、ワシントンD.C.、ギリシャのアテネ市などと同じあたりに位置。成田から大連まで約3時間、関空から大連まで約2.5時間のフライトで着くことができます。

上の写真は繁華街の「西安路」の風景です。

旅情漂う大連駅

旅情漂う大連駅
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大連駅の現在の駅舎は、日本の統治下にあった1937年に、日本人の設計により建てられました。大連駅は上野駅に似ているとよく言われています。現在の上野駅駅舎が完成したのが1932年なので、ほぼ同時期に建てられています。

大連は夕景が美しい街です。上の写真は夕方に、大連駅近くの跨線橋から駅方向を見ながらのものです。

ロシア風情街

ロシア風情街
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大連駅の北側に位置するロシア統治時代の行政区跡地は、当時多くのロシア人が住んだことから「ロシア風情街」と呼ばれるようになりました。現在のロシア風情街は、旅行・観光・ショッピング・レジャー・飲食・娯楽が集まる街になっています。

全長約400メートルの中に、たくさんの露店も出ていて、中国にいながらにして、ロシア情緒を満喫できます。露店の中にはロシア人形のマトリョーシカを売っているお店もあるので、観光客が多く散歩しています。

京劇

京劇
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日本の歌舞伎に近い京劇は、中国を代表する伝統文化です。大連にはこの京劇の人気の劇場があります。

今は閉じていますが、大連市中山区にあった元東本願寺大連別院が、2〜3年ほど前まで「大連京劇団麒麟舞台」として多くの日本人を集める京劇の公演場になっていました。現在は、大連駅近くの天津街の日航ホテル斜め向かい側にある宏済大舞台で、毎週土曜日午後15時から上演していて、活気のある舞台を見ることができます。

大連切子

大連切子

大連のお土産として、ガラス製品、特に切子が有名です。大連がガラスの原材料硅砂の産地であることから、切子の技術が日本から伝えられ、現在もその技術が残り、世界中に輸出されています。

上の写真は、南満州鉄道(略称・通称は「満鉄」)のマークの入った切子のコップです。

大連の観光地

大連市街には日本統治時代に建てられた、「旧満鉄本社」、「旧横浜正金銀行」、「旧大和ホテル」などの建造物や、市内から車で1時間弱の旅順(日清・日露戦争の戦地となった場所)には、乃木将軍がロシアと激戦を繰り広げた203高地や、旅順軍港攻防戦の停戦条約が締結された水師営会見所といった史跡が数多くあります。

ロマン溢れ、「北の香港」と呼ばれる「大連」を一度訪れてみませんか?

この記事の関連MEMO

掲載内容は執筆時点のものです。 2010/12/20−2011/08/13 訪問

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