イラン・圧巻の歴史遺跡ペルセポリスで遥かな古代を体感する!

イラン・圧巻の歴史遺跡ペルセポリスで遥かな古代を体感する!

更新日:2015/07/22 18:44

菊池 模糊のプロフィール写真 菊池 模糊 旅ライター、旅ブロガー、写真家
ペルセポリスは、BC6世紀からBC4世紀にかけて栄えたアケメネス朝ペルシア帝国の都で、ユネスコの世界遺産に登録されています。

総面積約13万平方mの大基壇の上に諸宮殿が乗っているという形の、壮大な土木建築物で、遺跡となって2500年経った今も、圧倒的な存在感があります。
イラン最大で中東遺跡の筆頭ともいえるペルセポリスを見学し、紀元前から時間が止まったままの悠久の古代世界を味わってください。

クセルクセス門がペルセポリス宮殿の入口にそびえ立つ!

クセルクセス門がペルセポリス宮殿の入口にそびえ立つ!

写真:菊池 模糊

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ペルセポリスは、紀元前6世紀にダレイオス1世(ダーラヤワウ1世またはダリウス大王とも表現)が建設した宮殿群です。アケメネス朝ペルシア帝国の戴冠式や朝貢・ノウルーズ(新年)の祭儀など主要な儀式が行われた都でした。

その入口には巨大な門があります。これは、ダレイオス1世の息子であるクセルクセス1世が建造したことから「クセルクセス門」と呼ばれますが、正式には「万国の門」と称されます。
写真を御覧ください。これはクセルクセス門東ゲートの人面有翼獣神像です。威圧感と迫力のある見事な建築物です。これは人間の顔を持つ翼の有る牡牛です。
この門には碑文が刻まれており「余はクセルクセス、偉大なる王、諸王の王・・・・・アフラ・マズダの恩寵により、この万国の門を余が建造した」とあります。

この門を東に抜けると通路があり、イラン航空のモチーフとなっている双頭の鷲(グリフォン)の像がありますので、忘れないように見学しましょう。

アパダーナ(謁見の間)は聖なる場所

アパダーナ(謁見の間)は聖なる場所

写真:菊池 模糊

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クセルクセス門を通過すると南側に広大な宮殿遺跡が広がり、アパダーナ(謁見の間)や中央宮殿、百柱の間(王座の間)、ハディーシュ(クセルクセス1世の宮殿)などがあります。
現在は大きな柱は、ほとんど残っていませんが、アパダーナ(謁見の間)には、まだ12本の巨大な石柱が天空を突き刺すように佇立しています。
このアパダーナでは、属国からの貢物を受け取り、ノウルーズ(新年)の祭儀が行われました。
つまりここは、宗教的・国事的儀式が行われた最も重要な場所で、アケメネス朝の王権が神から与えられたことを確認する聖所だったのです。

本来ここは36本の柱に支えられたレバノン杉の屋根がかかった巨大な部屋で、この広く見渡される室内空間の中で、王は諸国の使者を謁見したのです。
現在は屋根の跡形もなく、抜けるような青空が広がり、茫漠たる雰囲気の中、いくばくかの寂寥感を漂わせています。

アパダーナ東階段のレリーフはペルシア帝国の栄華を表す!

アパダーナ東階段のレリーフはペルシア帝国の栄華を表す!

写真:菊池 模糊

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アパダーナの東側には、階段があり、そこに沢山のレリーフが刻まれています。
東階段のレリーフの特徴は、諸国の使者の朝貢の図が詳しく描かれていることです。
アパダーナが属国使者の謁見場として使われていた当時の光景を彷彿とさせるもので、ぜひ時間をかけて見学しましょう。

この東階段には、西はリビア、南はエチオピア、北はスキタイ、東はガンダーラに至る23の属国からの使者の像が刻まれ、糸杉のレリーフによって区切られています。
各国の使者は、それぞれの帽子などの服装と携えてきた貢物によって特徴づけられています。
例えば写真右下の一団は、地中海岸からの穀物や布を捧げ持っており、イオニアからの使者であることが分かります。

このレリーフを詳細に観察すれば、北アフリカから西インドまで支配したペルシア帝国の広大さと栄華を実感できるのです。
今から2500年前に古代オリエント世界を統一したアケメネス朝ペルシア帝国が、世界の中心として栄えていたのです。

タチャラ(ダレイオス1世の宮殿)は王の居住区

タチャラ(ダレイオス1世の宮殿)は王の居住区

写真:菊池 模糊

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アパダーナや百柱の間がペルシア帝国の公式な場とすれば、タチャラはダレイオス1世のプライベートな宮殿です。
ペルセポリスの他の部屋がほとんど柱が倒壊して基盤だけしか残っていないのに対し、ここにはまだ多くの中規模の柱が残っており、密集して建っている印象です。
ゾロアスター教の「有翼の日輪」の図案や、有名な「雄牛を襲うライオン」のレリーフが見られますが、他と比べ比較的良好に残っているので、観察するのに最適です。

タチャラの意味には諸説あり、アパダーナの大きな宮に対する「離宮」、宝庫も兼ねたとする「宝庫宮」、南窓があることから「冬の宮殿」、黒っぽい大理石を使っているところから「鏡の間」等々です。
いずれにせよ、アパダーナより2m高い位置にあり、いくつもの部屋に区切られていることから、王の居室があったことは確かです。

アレクサンドロス大王により破壊・略奪された悲劇の都を一望する!

アレクサンドロス大王により破壊・略奪された悲劇の都を一望する!

写真:菊池 模糊

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ペルセポリスは、紀元前331年、アレクサンドロス大王(アレキサンダー大王)の攻撃によって破壊されました。
アレクサンドロス大王は、ペルセポリスの民衆を大量に虐殺し、建築物を徹底的に破壊しました。
3000トンの黄金をはじめとする貴重な財宝を略奪し、ペルシア帝国を滅亡させたのです。その財宝を運ぶために馬と駱駝が3万頭必要だったと伝えられます。
ペルセポリスは廃墟となりましたが、その巨大さから宮殿跡は残り、現在もアレクサンドロス大王による破壊の時のまま遺跡として静かにたたずんでいます。

写真を御覧ください。これはアルタクセルクセス2世の墓からペルセポリスを見下ろしたものです。写真中央の沢山の柱の基盤が残されている広い部屋が「百柱の間」です。
アルタクセルクセス2世は、在位が紀元前404年〜358年と、アケメネス朝ペルシア帝国では最も長く王位にありました。その墓は、ペルセポリス全体を俯瞰できることからとても貴重な見学スポットと言えます。
ペルセポリス観光の最後に、この王墓に登り、遺跡全体を一望して、そのスケールの大きさを実感しましょう。

最後に

ペルセポリスは、これぞ世界遺産というべき、期待を裏切らない圧巻の古代遺跡です。イランで最も人気のある観光地でもあります。
ぜひ、ペルシアの悠久の歴史に思いを馳せながら、古代世界を堪能してください。

注意すべきは、砂漠の中にあるため、夏の昼間は非常に高温になることです。ペットボトルの水を必ず持参し水分補給を忘れないようにしましょう。
また、ペルセポリスそのものには宿泊施設は無いので、近隣都市であるシーラーズにホテルを確保しておくことが大切です。

掲載内容は執筆時点のものです。 2015/05/11 訪問

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