「命のビザ」を発行した杉原千畝の故郷!岐阜県八百津へ

「命のビザ」を発行した杉原千畝の故郷!岐阜県八百津へ

更新日:2015/09/08 15:29

旅人間のプロフィール写真 旅人間 はらぺこライター、旅ブロガー
私たちは杉原千畝と言う人物をもっと知らねばなりません。第二次世界大戦中、リトアニアの「カウナス」でナチス・ドイツに迫害され危機に面したユダヤ人を救うため、自らを犠牲にして6,000人以上に「命のビザ」を発行した人物。「助けて」と次々に押し寄せる人々に、彼が下した決断&行動とは?彼の故郷の岐阜県八百津町にある「人道の丘公園」は真実を知る為の貴重な場所。映画『杉原千畝 スギハラチウネ』も必見です。

杉原千畝と言う人物を知っていますか?

杉原千畝と言う人物を知っていますか?

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杉原千畝(すぎはらちうね)と言う人物を知っていますか? 彼は、第二次世界大戦中、日本領事館領事代理として赴任していたリトアニアの「カウナス」という都市で、ナチス・ドイツによって迫害され、命の危機に面していた多くのユダヤ人に対して、本国の意志に背き独断で後に「命のビザ」と呼ばれるビザを約6,000人以上に発行しました。

ところが、日本に帰国した彼を待ち受けていたのは、勝手な行動による外務省の辞職勧告。そして彼の一家の生活は困窮するも、語学が堪能だったこともあり単身でモスクワに赴任し、1986年に86歳でその生涯を閉じました。しかし彼が、人として行った行為を認められたのは、なんと…、彼の死後14年も過ぎた2000年になってのことだったのです。
そんな杉原千畝を私たちはもっと知るべきではないでしょうか。彼の生まれ故郷である岐阜県八百津市には「人道の丘公園」があり、杉原千畝像を背にして「杉原千畝記念館」があります。信念を持った決断の深さは、知れば必ず涙する大切な場所です。

「日本のシンドラー」のシンドラーの意味は?

杉原千畝の人道的功績を称えるための「人道の丘公園」は、八百津の街が一望できる自然豊かな高台にあります。ここには様々なモニュメントがあり、中でも160本のパイプからなるパイプオルガンをイメージした「平和を奏でるモニュメント」は、噴水とともに美しい音楽を奏でます。このゆったりとした空間は平和であることの意味を改めて感じさせてくれます。

ところで、杉原千畝は「日本のシンドラー」と呼ばれていますが、この「シンドラー」をご存知でしょうか? スティーヴン・スピルバーグ監督による映画「シンドラーのリスト」と言えばピーンと来る人も多いと思いますが、オスカー・シンドラーという実在したドイツ人の名前です。彼は戦争を利用してひと儲けしようと工場を買い取り、安価な労働力としてユダヤ人を雇い入れますが、ユダヤ人が殺戮されていく様子を目にし、一人でも多くの人を救いだす為に軍需工場に必要な生産力としてユダヤ人労働者を雇い入リストを作成し、1200人ものユダヤ人の命を救いました。杉原千畝もシンドラーと同じように多くの人の命を救った偉人なのです。

「日本のシンドラー」のシンドラーの意味は?

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その時、あなたなら、どんな決断をしますか?

外交官であり、諜報員でもあった杉原千畝は、第二次世界大戦開戦直前の1939年にリトアニアのカウナスに赴任します。ドイツとソ連に挟まれた場所に位置したリトアニアは情報収集に最適で、彼は独ソ戦争の時期を特定する情報収集の役目も担っていました。そんなある日、「忘れもしない1940年7月18日の早朝の事であった」と杉原の手記に書かれた事件が起きます。

当時のヨーロッパはナチス・ドイツ軍の脅威に飲み込まれ、ユダヤ人は迫害され大虐殺などが行われていました。ドイツ軍がポーランド侵攻し、多くのユダヤ人たちは隣国リトアニアへ逃げ込みますが、リトアニアはソ連への併合が確実となり、助かる道は日本通過ビザを得て、第三国へ逃げるのみ。そしてビザ発行を求めたユダヤ人難民が「私たちを助けて下さい」「命を助けて…」と杉原千畝がいる領事館へ次々に押し寄せて来ます。

そんな緊迫した状況を再現させた「決断の部屋」と名付けられた「杉原千畝記念館」にある一室。この部屋では当時の様子を再現したビデオが流れ、多くの人が衝撃と感動を与えられることでしょう。仮に「あまり資料館とか興味ない」と言いながら入った人であっても、その真実を知ると涙を浮かべ、微動だとしなくなります。「その時、あなたなら、どんな決断をしますか?」その問いに深く考えさせられる、全ての日本人にオススメの場所です。

その時、あなたなら、どんな決断をしますか?

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6,000人以上に発行された「命のビザ」

多くのユダヤ人が、「私たちの命を助けて下さい」と杉原の元にやって来ます。判断に困った杉原は、本国に問い合わせるも日独伊三国同盟の締結を間近に控えた本国の回答は「NO」。「ビザの発給を懇願するユダヤ人たちを見殺しにするのか?」「国の指示に背きユダヤ人の人命を救うか?」悩み苦しみます。
そして、一刻を争う状況で最終的に彼が出した決断は、独断で「命のビザ」発給することでした。外交官としての自分の立場ではなく、人間としてなすべきことを優先させたのです。
更に杉原は日本領事館閉鎖後も滞在先の同ホテルでも、またカウナスを去る当日も、列車の車窓から体を乗り出して、最後の最後までビザを書き続け、その数は6,000以上もあったと言われ「命のビザ」と言われています。

この資料館では、杉原千畝が最後の最後まで発行し続けた「命のビザ」のレプリカが展示されています。また、ビザを発行してもらった人々のその後や、杉原のお蔭で命を救われた人々が残した声なども見ることが出来ます。記念館と言うと少しお堅い感じもしますが、感動し、涙が出て胸が熱くなる、私たちが知っておくべき大切な事がここにあります。
(※館内は許可のない写真撮影不可です)

6,000人以上に発行された「命のビザ」

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人道の丘公園は子供の遊び場も充実!

2015年12月5日より映画『杉原千畝 スギハラチウネ』が公開されます。戦後70年の時を経て、真実の物語は多くの感動を私たちに与えてくれる事でしょう。そして、映画をキッカケに杉原千畝と言う人物を偲び、その故郷である岐阜県の八百津町に、そして、この「杉原千畝記念館」に立ち寄るって見たいと言う人も多くなりそうです。

でも…、映画の内容や記念館は子供には少し難しいかもしれませんね。しかし、ご安心を!この「人道の丘公園」では、子供の遊び場もきちんとあります。どちらが速く滑れるか競争できる合流タイプのローラー式すべり台や、遊具頂上からの眺め抜群の遊具、ターザンロープなどが人気。この公園は充実した内容の割には混雑も少なく、楽しい時間を過ごすことが出来ます。自然豊かなこの場所は、天気の良い日にお弁当を持って来るのがおすすめですよ。

人道の丘公園は子供の遊び場も充実!

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八百津町を散策するなら…

岐阜県の八百津町は自然豊かな場所です。もし観光で来る場合は、近くに宮本武蔵が滝に打たれて修業をしたと伝わる「五宝滝」などもありますので、時間があればそちらに行ってみるのも良いでしょう!また、この近辺では「栗きんとん」が有名ですので、お土産を買うなら絶対にオススメですよ。

掲載内容は執筆時点のものです。 2015/06/13 訪問

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