熊本県「鞠智城」で体感しよう!これが古代日本の大国家プロジェクト!

熊本県「鞠智城」で体感しよう!これが古代日本の大国家プロジェクト!

更新日:2016/12/28 16:20

万葉 りえのプロフィール写真 万葉 りえ レトロ建築探訪家、地域の魅力伝え人
大和朝廷といえば奈良。そして、次に浮かぶのが中国や朝鮮半島からの文化に入り口として重要視された大宰府を中心とする北部九州ですよね。

鞠智城があるのは熊本県山鹿市。大宰府と同じ頃に大和朝廷が築いた山城ですが、発掘・研究が進むにつれてかなりの大きさと設備を持っていたことがわかってきています。ここは子供用パンフレットも完備で家族の旅にもお薦め!
さあ、復元された古代の丘にロマンを求めて出かけましょう。

迫る大陸の脅威。国家プロジェクト発令!

迫る大陸の脅威。国家プロジェクト発令!

写真:万葉 りえ

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645年に大化の改新が行われ天智天皇が位についた後、大和朝廷は朝鮮半島にあった国の一つである百済(くだら)の要請を受けて、唐・新羅(しらぎ)の連合軍と戦います。しかし663年の白村江の戦で、大和朝廷&百済軍は敗れてしまいます。

唐は大帝国。いつ大陸からの攻撃が始まるかわかりません。
大和朝廷はそれまで博多湾の近くに置いていた外交に関する機関を、現在の太宰府へと内陸へ移します。それにともない防衛のために筑紫を中心に水城(大宰府を守るための、土塁と水を使った巨大な防衛ライン)やいくつもの山城を急ピッチで築きます。

この鞠智城(きくちじょう・くくちじょう)もその時に築かれた山城の一つなんです。東アジアの情勢が定まらない古代において、国家防衛は当時の日本の最重要事項!城域は中心部分だけでも55ヘクタールもの広さ。発掘から、70棟以上もの建物群があったことがわかっています。

たたずむ鼓楼は、天守閣?

たたずむ鼓楼は、天守閣?

写真:万葉 りえ

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ここにきてまず目に付くのが、三層になった八角形鼓楼でしょう。
日本の歴史からいえば、戦国時代に建てられだした城の天守閣のように見えますね。

鞠智城では二か所で八角形建物跡が見つかっていますが、どちらも柱の跡が同心円状にたくさん並んでいました。ですから、復元された八角形鼓楼の内部を見ると柱だらけなんです。
鞠智城のシンボルのような建物なのですが、天守閣と違って人が入るのは大変そうで、これでは住めませんよね。最上階に鼓が置かれ、時刻や、緊急の際の連絡手段として使われていたのではないかと推測されています。

この時代、遠い場所からの緊急の伝達方法は烽火(のろし)です。
大宰府を守るために築かれた大野城や基肄(きい)城などの山城を経由して、この鞠智城まで実際に烽火の実験も行われました。実験は無事に成功。
古代の山城は計画的に築かれたことが証明され、有事の際は、博多湾から100km以上離れたこの城まで直ちに連絡が届くようになっていたなんて驚きです。

広がる平野を見下ろしながら、防人たちの哀歌を

広がる平野を見下ろしながら、防人たちの哀歌を

写真:万葉 りえ

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大和朝廷の九州防衛策として忘れてはいけないのが、兵士として置かれていた防人です。
任務は原則三年間。食料や武器は自前のうえに、残された家族の税も免除されるわけではなかったといいます。防人として出ていく者にも、残された家族にも大変重くやりきれない制度でも、国家存亡の危機の前ではどうしようもなかったのでしょう。

防人として集められたのは、主として東国(現在の中部地方、関東地方にかけての地域)の農民だったので、任地までの道のりも大きな負担になったことでしょう。180年の長きにわたり、累計で10万人ともいえる人々が動員されたといわれています。

鞠智城では、防人たちの暮らしをしのぶ一つとして、約50人の兵士が寝泊まりしていたと考えられている兵舎も復元されています。
万葉集に残る防人の歌についてもレリーフなどで紹介されているので、当時の人々の気持ちを想像してみてくださいね。

充実した資料館で、鞠智城のエキスパートになろう

充実した資料館で、鞠智城のエキスパートになろう

写真:万葉 りえ

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菊池城は広大な城域をもっていますが、道が整備されているので城内の各所を見て回れるようになっています。敵の侵入に備えて高さを増した土塁。複数ある門の跡。米蔵。実際に歩いてみると、いかに地形をうまく利用して防衛対策をしていたかがよくわかります。

国をなくしてしまった百済の貴族たちは日本へと渡ってきており、この鞠智城でも生活していたようです。

鞠智城の資料館である温故創生館へ行けば、百済の人々が持ってきたと思われる物や、瓦などの出土品を見ることができます。当時の人々が生活するために使っていた道具なども展示され、子供たちでもわかりやすいように説明がつけられています。
映像での説明も充実しているので、鞠智城や当時の様子についてぐんと詳しくなれますよ。

おわりに

八角形鼓楼は、類似する建物群が、韓国の京畿道で見つかっているそうです。古代日本において、大和朝廷のある奈良から遠く離れた山の中に、当時の最先端技術を使って建物が建てられ、城造りが行われていたなんて驚きですよね。

九州北部は、太宰府天満宮をはじめとして、温泉、阿蘇山、長崎観光に、佐賀の吉野ケ里遺跡、別府…等々、観光地がたくさん挙げられます。高速道路を利用して、熊本県の北部はそれらの観光地も回りやすい場所にあります。
また、菊池渓谷や山鹿温泉もあるし、スポーツアクティビティが整った温泉リゾート「ホテルセキア」(MEMO参照)なども近いので、組み合わせて充実した旅を楽しんでくださいね。

国指定史跡「鞠智城」。
この山城で、風雲急を告げる時代だった古代の風に吹かれてみませんか。

入園料・駐車料・温故創生館 ともに無料です。

掲載内容は執筆時点のものです。

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