銅鐸の里・近江富士山麓の野洲(滋賀県)の隠れたパワースポット

銅鐸の里・近江富士山麓の野洲(滋賀県)の隠れたパワースポット

更新日:2015/06/30 16:19

近江富士の三上山を擁する野洲(やす)は、かっては湖東を代表する親水都市。
家棟川(やなむねがわ)エコ遊覧船にはじまり、琵琶湖を目の当たりにできる三上山、花緑公園・希望が丘文化公園と四季折々の自然の美しさと貴重な文化財が豊富なことに驚かされます。そんな野洲のもうひとつの魅力を湛える秘密の場所をそっとお教えしましょう。

近江富士・三上山に隣接する妙光寺山の岩神と秀麗な地蔵磨崖仏

近江富士・三上山に隣接する妙光寺山の岩神と秀麗な地蔵磨崖仏
地図を見る

野洲は古代よりひらけた土地柄で、いたるところに古墳が築かれています。
妙光寺山(270m)の北斜面には、古墳をそのまま用いた龍神を祀る岩神の祠と地蔵磨崖仏がひそかに息づいています。

岩神は立石を林立させドルメン(柱状列石)風につくられ、威風堂々としたものです。
また、地蔵磨崖仏は、6mはあろうかと思われる花崗岩の岩肌に、高さ175cm、幅95cm、奥行き15cmの長方形の彫り込みをつくり、その中に像高155cmの蓮華座に立つ半肉彫りの地蔵立像を刻んだものです。
この地蔵は、錫杖(しゃくじょう)の柄が短い近江地蔵の特徴を持ち、鎌倉期の彫刻。とても見事な様式美を伝えています。

中山道を行き来する旅人たちを見守ってきた背くらべ地蔵

中山道を行き来する旅人たちを見守ってきた背くらべ地蔵
地図を見る

JR野洲駅前にほど近く、中山道と朝鮮人街道が交わる行畑の辻には大小2体の石仏があり、背くらべ地蔵と呼ばれています。
この石仏は、大きい方が鎌倉後期造立の像高133cmの阿弥陀仏で、小さい方は室町末期の像高70cmの地蔵。どちらも著しく摩耗していますが、数百年立ち尽くしただけの風格が感じられます。
 
かたや、朝鮮人街道とは、江戸城の将軍に謁見するため、2千人に及ぶ朝鮮通信使が鳴り物入りの豪奢な隊伍を組んで通ったといわれるゆかりの街道のこと。

またこの街道に沿う祇王寺川は、この地で生まれ育ち平清盛の寵愛を受けた白拍子の祇王が、水不足に悩む故郷の村人を救うため、清盛に水路を引かせたというゆかりのあるもので、涼やかな水音をたてて今も流れています。

その川が家棟川へ合流するあたりには、祇王・妓女の姉妹と母に感謝を込めて村人たちが建立したという祇王寺があります。野洲を訪れる人はまず、この街道に立って往時の面影を偲ぶことからはじめましょう。

近江富士の三上山をご神体とする御上神社

近江富士の三上山をご神体とする御上神社
地図を見る

三上山(432m)は、平安中期の関東の武将・俵籘太秀郷(たわらのとうたひでさと)が、ここを根城としてきた巨大百足(むかで)を退治したという伝説が伝えられているところ。

麓の御上神社は、天之御影神(あめのみかげのかみ)が山頂の磐座にご降臨されたことから、古代より神体山として代々崇めてきたところ。そんな伝承から、養老2(718)年、藤原不比等が勅命を拝し、榧木原(かやのきはら)と呼ばれていた現在地に社殿を造営したといわれています。

国宝の社殿は、仏堂的要素を融合した神社建築で、簡素な中にも荘厳さを漂わせ、斎庭(ゆにわ)に入ると、自ずと心洗われる思いに満たされます。

また、随神の像を安置する康安5(1365)年建立の楼門、そして鎌倉後期の檜皮葺きの拝殿はいずれも重要文化財指定。

籘太は、百足退治のため武神として名高いこの神社にまず祈願し、弓の秘訣を授かり、その神威を以って見事に成敗したと言われています。

時空のひずみに取り残されたような福林寺跡石仏群

時空のひずみに取り残されたような福林寺跡石仏群
地図を見る

野洲駅から徒歩30分、小篠原地区の中学校裏の廃れたサイクリングロードを北へ向かえば福林寺跡の標識に出会います。その脇の小橋を渡り、林道を辿るとまもなく岩肌に観音・地蔵・阿弥陀の彫られた福林寺跡三尊磨崖仏があります。

その奥には寺跡の痕跡が一切失われた福林寺跡の石標が立ち、あたり一面夥しい数の石仏と小さな五輪塔が散在しています。

そこからやや右手の巨岩をよく見ると側面に不思議な造形の十三体の地蔵石仏が並んでいて、エアポケットにさまよいこんだ気がしてきます。
駅から比較的近いところに、こんな別天地があるなんて驚きです。
ここは野洲の中でもとてもインパクトに富んだ磁力を感じるところ。ぜひ訪ねてみてください。

銅鐸博物館と弥生の森歴史公園にある古代ハス

銅鐸博物館と弥生の森歴史公園にある古代ハス
地図を見る

福林寺跡から再び、かってのサイクリングロードに出てなおも北上すると、扁額にハート文様をちりばめた日吉神社に出ます。
その更に奥に銅鐸出土の碑が突然現れたと思うと、その碑の向こうに古代史ファン必見の銅鐸博物館の建物が見えてきます。

目立たない歴史民俗博物館ですが、中に入ると見事な銅鐸のオンパレードに圧倒されます。
なんといってもこの近くの大岩山からは、明治14(1881)年に14個、昭和37(1962)年に10個の計24個の銅鐸が出土したのです。
その中には、日本最大の銅鐸(高さ143.7cm重さ45.47kg)も含まれています。
銅鐸は、今から約2000年前の弥生時代に造られた青銅製の「まつりの鐘」。
鳴らすための小さな銅鐸から形も大きくなり、見るための銅鐸へと変化した様子が展示を巡ると自ずと理解できます。

また、隣接する弥生の森歴史公園では、竪穴住居・高床倉庫・水田などの自由に出入りできる復元施設があります。

なんといっても夏至の前後には、2000年前の古代ハス(大賀蓮)の開花がみられるほか、弥生の森を構成してきた樹木の数々が見事に再現されています。
そして、希望者には、いつでも誰でも手軽に土器づくり、勾玉づくりなどが体験できるサービスもあり、家族ぐるみで楽しむことができるのも魅力です。

おわりに

京都や大津からも近い野洲ですが、近江富士の三上山は車窓から眺めていても、観光スポットとして下車することはまれな駅でしょう。
しかし、この地は歴史・風物・自然のいずれをとっても遜色がなく、しかも静かな旅をたのしむことのできる景勝地なのです。
京阪神在住の人からはJR快速の終着駅として、いつかは訪ねてみたい町の筆頭にあげられる野洲。どうぞ腕時計をはずしてのんびり訪ねてみてください。

掲載内容は執筆時点のものです。 2015/06/14 訪問

- PR -

条件を指定して検索

- PR -

この記事に関するお問い合わせ

- 広告 -