2016年大河ドラマ『真田丸』の舞台!上田城(長野県)の歴史と見所を徹底ガイド

2016年大河ドラマ『真田丸』の舞台!上田城(長野県)の歴史と見所を徹底ガイド

更新日:2016/02/09 16:47

渡部 洋一のプロフィール写真 渡部 洋一 フリーライター、カメラマン
「歴女」という言葉が定着するなど歴史ブームが熱い昨今、数多くの戦国武将の中でもトップクラスの人気を誇る人物がいます。大阪夏の陣でその命を華麗に散らせた、真田幸村です。
その真田幸村を主役に取り上げるのが、2016年のNHK大河ドラマ『真田丸』。今回は、真田氏の居城であり大河ドラマの舞台ともなる「上田城」の歴史と見所をご紹介します。

大河ドラマで注目を集める、真田家の居城「上田城」

大河ドラマで注目を集める、真田家の居城「上田城」

写真:渡部 洋一

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長野県上田市に、その信州の名城はあります。2016年のNHK大河ドラマが『真田丸』に決まり、その舞台として注目を集める「上田城」。現在は本丸、二の丸のあった場所が上田城趾公園として整備され、石垣や櫓等が残されています。

雑誌等の戦国武将人気ランキングでは1位の常連であるほど、真田幸村の人気は圧倒的。その真田氏の居城とあって、ここ上田城は真田幸村ファンのみならず多くの歴史ファンにとって聖地となっています。

徳川の猛攻を退けた難攻不落の名城

徳川の猛攻を退けた難攻不落の名城

写真:渡部 洋一

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真田幸村の父・真田昌幸が1583年に築城した上田城。上田盆地北部に建つ平山城です。
この城の名を高めることになる代表的な出来事が、世に言う「上田合戦」。当時、戦国大名としてそれほど大きな家ではなかった真田家が、圧倒的な戦力を誇る徳川軍をなんと二度にわたって撃退したのです。通説では、第一次上田合戦では1200人の兵で7000人の徳川軍を、第二次上田合戦では3500人の兵で38000人の徳川大軍勢を撃退したとされています。

天下の徳川の大軍の猛攻に2度も耐えた上田城は、「真田氏の居城」であるだけでなく、戦国屈指といえる難攻不落の城としても知られているのです。平成18年(2006年)には、日本100名城にも選定されています。

この上田城を舞台に、『真田丸』で堺雅人さん演じる真田幸村が活躍するシーンが今から楽しみですね。

伝説の巨石「真田石」

伝説の巨石「真田石」

写真:渡部 洋一

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東虎口櫓門の石垣にある「真田石」。幸村の父・真田昌幸が上田城築城の際掘り出したこの巨石に自らの名を与えたものです。
昌幸の息子であり幸村の兄である真田信之が松代に移封を命じられた時、この石だけは父の形見として持って行こうとしましたが、微動だにしなかったという伝説が残っています。高さ約2.5メートル、幅約3メートルという大きさ故に生まれたエピソードです。

「抜け穴」だった真田井戸

「抜け穴」だった真田井戸

写真:渡部 洋一

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上田城趾公園内にある「真田井戸」。
城外への抜け穴となっており、敵に包囲された際も城兵の出入りや、兵糧の調達にも不自由しなかったと伝えられています。「真田十勇士」等で忍者的なイメージもある真田家ならではの、ロマンに満ちた歴史ある井戸です。

唯一現存の西櫓

唯一現存の西櫓

写真:渡部 洋一

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写真は、上田城趾公園内に建つ「西櫓」。上田城で唯一現存する建物です。この西櫓周辺は、上田の長閑な町並みを見下せる絶景スポットにもなっています。

『真田丸』の舞台!上田城へ行こう!

いかがでしたか?
2016年NHK大河ドラマ『真田丸』で注目を集める、上田城の歴史と見所をご紹介しました。堺雅人さん演じる真田幸村が活躍する舞台に、あなたも足を運んでみませんか?ドラマの予習に行くも良し、視聴後の復習として行くも良し。そこには、戦国を代表する人気武将・真田幸村が残した歴史ロマンが溢れています。

なお、上田城趾公園へのアクセス、入場料、入場時間等の情報や、上田城以外の真田家ゆかりのスポットについて詳しくご紹介した記事を、本記事下部にある「MEMO」よりご覧いただけます。

掲載内容は執筆時点のものです。 2012/08/04 訪問

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