写真:万葉 りえ
地図を見る西鉄の福岡駅や、市営地下鉄の天神駅から歩いてもわずか。明治通りを中洲の方向へ進んですぐに、左手のビルの間に朱塗りの社殿が見えてきます。
入口は小さく見えますが、中に入ると結構な広さがあります。池には大きな鯉がゆうゆうと泳いでおり、境内のあちこちで季節の花が彩を添えています。静かでくつろげる空間は、ここが都会の中心であることを忘れさせてしまうほどです。
写真:万葉 りえ
地図を見るでは、ちょっと歴史を紐解いてみましょう。
右大臣として天皇につかえていた菅原道真は、藤原時平の讒言により無実の罪をきせられてしまいます。あわれ、大宰権師(だざいごんのそち)に任ぜられて、わずかな供とともに遠い大宰府へと旅立たねばならなかった道真。
普段見ることのない雲上人がいわれのない罪で嘆き悲しむ様子に、その土地土地の人々は深い同情をよせたようです。道真が道中で滞在したという地には、のちに「天神」「天満宮」が建てられていきました。
ここもそんな神社の一つ。
瀬戸内海を航行中に道真一行は暴風にあっており、ただでさえ傷心の身に、船が転覆するかもしれないという恐怖まで味わって九州へたどり着いたようです。現在の博多港についた後は、船を乗り換え四十川へ。
そして、今泉という村の付近で川面に映った変わり果てた自分の姿を見た道真は、悲しみを一層深くしていったといいます。その今泉に建てられた社殿が、のちに「水鏡天神」などとよばれるようになったそうです。
写真:万葉 りえ
地図を見る時は流れて…1612年。筑前五十二万石に封じられた黒田長政。まだまだ戦乱の空気が残り、天下泰平とはなっていない時代です。
福岡城の築城にあたり、城の鬼門となる方角、つまり、現在社殿が建っている地に天神様にお移りいただくことにしました。天神様の強力なパワーで、城の防御を固めるためだったといわれています。
黒田家が明治維新をむかえるまで筑前五十二万石を守ってこられたのは、天神様の強力なパワーのおかげがあったからなのかもしれませんね。
写真:万葉 りえ
地図を見る境内に入ると、どこかユーモラスで心をほぐしてくれる表情をたたえた牛の像もむかえてくれます。
大宰府で亡くなった道真のなきがらを運んだのが牛車でした。しかし、墓所を定めてそこへと運んでいく途中で、なぜか牛が動かなくなってしまったといいます。付き添っていた者たちはいろいろと試みたのでしょうが、とうとうその場所を道真の墓所とすることになったそうです。その場所が道真の霊廟「安楽寺」であり、現在まで続く「太宰府天満宮」の地でもあります。
道真と牛には深いつながりがあり太宰府天満宮にも牛の像がいくつもありますが、ここも道真ゆかりの神社なので牛は大事な存在なんです。
水鏡天満宮の社殿に並ぶように、左手にはお稲荷さんも建っています。お稲荷さんの前にはお百度を踏む石が残っていて、こちらも多くの人々の信仰を集めてきたことがうかがえます。
天満宮とお稲荷さんの両方に手を合わせて、旅に出られたことに感謝したり、旅の安全を祈ったりされてはいかがでしょうか。
政界の争いで敗れてしまった道真ですが、今は遠い世界で、讒言を信じた天皇や政敵と仲良くなっていたらいいですね。
こんな都会のビルの間にありながら、境内に入ると周りの喧騒から離れた世界に入れます。私事ではありますが、この神社を知ってから、神聖な空気に包まれに寄らせてもらうようになりました。
ショッピングや屋台巡りなど、天神での楽しいプランがあることでしょう。その散策の際には、この神社にお寄りくださいね。
天神様とお稲荷さんのダブルパワーで、楽しい旅を!
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(2024/4/19更新)
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