世界遺産「高野山」参拝は麓から始めよう!参詣道起点と中腹の見どころ

世界遺産「高野山」参拝は麓から始めよう!参詣道起点と中腹の見どころ

更新日:2015/06/02 12:03

世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」を構成する「高野山」が、開創1200年を迎えました。山上の金剛峯寺を訪問する際は、「町石道」と呼ばれる参詣道を麓から歩くのが本来の作法。一気に山上までケーブルカーで駆け上がらず、まずは、参詣道の起点となり高野山と関連・共存してきた麓の寺社から巡ってみませんか?「慈尊院」や「丹生都比売神社」など、高野山麓の見どころをご紹介します。

高野山の案内犬「ゴン」の碑もある高野山への表玄関、世界遺産「慈尊院」と「丹生官省符神社」

高野山の案内犬「ゴン」の碑もある高野山への表玄関、世界遺産「慈尊院」と「丹生官省符神社」
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慈尊院は、和歌山県伊都郡九度山町から高野山へと続く「高野山町石道」の始点で、その入り口となる180町石はこの慈尊院にあります。弘仁7年(816年)、嵯峨天皇から高野山の地を賜った空海(弘法大師)が、高野山への表玄関として創建した寺院です。空海のお母様が高野山を一目見ようとやって来られましたが、高野山内は女人禁制となっていたため、麓にあるこの寺院に滞在し、本尊の弥勒菩薩を篤く信仰していたと伝わります。この弥勒菩薩像は国宝・秘仏でご開帳は21年に一度とされています。

この寺院にまつわる素敵なエピソードをご紹介しましょう。昭和60年代、白い雄の雑種犬が、高野山への参詣者を案内するようになったそうです。慈尊院から聞こえる鐘の音が好きなこの犬は「ゴン」と呼ばれます。平成14年に息を引き取ったのですが、約1200年前の弘法大師の時代にも高野山の案内犬がいたという伝説があり、このゴンは「弘法大師の案内犬の生まれ変わり」と呼ばれて親しまれていました。慈尊院境内の弘法大師像の横に、「高野山案内犬ゴンの碑」が建てられています。

慈尊院から階段を上りますと、南の高台に慈尊院と一体で信仰を集めた、丹生官省符神社(にうかんしょうふじんじゃ)があります。慈尊院と共に「紀伊山地の霊場と参詣道」の一部として登録されていますので、併せて訪問しましょう。

「丹生都比売神社」と、白洲正子さん絶賛・日本の原風景が残る「天野の里」へ

「丹生都比売神社」と、白洲正子さん絶賛・日本の原風景が残る「天野の里」へ
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慈尊院から車で20分ほどの「丹生都比売神社(にうつひめじんじゃ)」も、世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」の構成資産の一つとして登録されています。空海(弘法大師)が高野山を開く際、こちらの神様に仏法の守護を願い出て、神々の山である「高野」の神領を譲り受けたとされています。高野山の鎮守社であり、空海を高野山へと導いた狩場明神が祀られ、古くから高野山と密接な関係を保ってきました。

和歌山県の『風景百選』にも選ばれたこの天野の地は、今も日本の原風景ともいえるのどかな景観が魅力。道ばたの祠や石像物からも「信仰の里」であることが偲ばれるでしょう。

白洲正子さんは、著書「かくれ里」でこの地を訪れたときに「まだかまだかと思ううち、峠を二つばかり越えたところで下り坂となり、いきなり目の前が明るくなった。見渡す限り、まばゆいばかりの稲の波だ。こんな山の天辺に、田圃があろうとは想像もしなかったが、それはまことに「天野」の名にふさわしい天の一角に開けた広大な野原であった。もしかすると高天原も、こういう地形のところをいったのかも知れない」「できることならここに隠居したい。桃源郷とは正にこういう所をいうのだろう」と書かれています。
 
有名な歌人西行法師のお堂もあり、出家して尼となった妻と娘も庵を建てて住まわれ、読経の生活を送られた後にこの地でともに生涯を終えました。西行堂のすぐ下に、里人達が花を供えて守り続けてきた妻娘の塚も残っています。

町石道の遙拝スポット「二つ鳥居」

町石道の遙拝スポット「二つ鳥居」
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丹生都比売神社の裏から、少し急な坂道もありますが頑張って八丁坂を登り、尾根にたどり着きますと、町石道に出会います。
町石道は、慈尊院を基点に、一町ごとに五輪卒塔婆形の石柱を目印に、天野の里を廻りながら高野山に向かう道です。

八丁坂と町石道が交わる場所に、石造りの二つの鳥居が並んでおり、「二つ鳥居」と呼ばれています。二つの鳥居の横並びって珍しいですよね。ここからは天野の里の全貌を望むことができておすすめです。慈尊院から町石道を登ってきた修行者たちも、ここで一息ついたのでしょう。

江戸時代末期に建立された石造りの鳥居ですが、もともとは空海(弘法大師)が高野山に丹生明神と狩場明神を勧請した際、神域の入り口として建立したと伝わっています。二つ鳥居は、それぞれの神様を遥拝するものでしょう。昔、ここでは木の伐採も禁じられていた聖域で「高野山」は、ここから始まるということもできます。鳥居の先の分岐を左に行くと、高野山上に続く町石道です。世界遺産の町石道歩きも少し体験してみてはいかがでしょうか。

天野の里でのおすすめランチ

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高野山上まで上がりますと、ランチは精進料理となるのが一般的でしょう(精進料理の特徴は、野菜・豆類など、植物性の食材を調理して食べること)が、せっかくの山麓の散策です。ここはふんだんに地元食材を盛り込んだフランス料理に舌鼓をうってみてはいかがでしょうか?
この界隈唯一の創作フレンチレストラン、山荘「天野の里」をおすすめします。2014年のオープンですのでまだあまり知られていませんが、かえって「隠れ里」っぽくてゆっくりと寛ぐことができます。

料理長が腕を振るうのは、フレンチと和食の融合をテーマにしている料理。美しい彩りと斬新なデザインで、見た目も美しい。天野の里を眺めながらゆったりと時間が流れます。

こちらは宿泊も可能です。高野山上での宿坊も人気ですが、山あいに広がる天野の里の中心で、豊かな自然に囲まれた空間での宿泊も検討されてみてはいかがでしょうか。

まとめとして

高野山開創1200年の2015年、多くの人々が訪問されていますが、その大半は高野山上までケーブルカー等で一直線なのではないでしょうか。昔の参拝者のように町石道を麓から山上まで歩くのは確かにちょっと大変ですが、車等を利用して、古の参拝道に思いを馳せるルートを廻ってみませんか。

今回、全てを紹介できたわけではありません。実際に行かれますと、麓の九度山町に位置する「慈尊院」「丹生官省符神社」から、途中の天野の里「丹生都比売神社」、さらには高野山「壇上伽藍」「金剛峯寺」までに、多くの史跡と自然が迎えてくれることでしょう。

掲載内容は執筆時点のものです。 2015/04/18 訪問

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