東京大学でハチ公に再会!全米が涙した愛情物語のあるべき姿がここに

東京大学でハチ公に再会!全米が涙した愛情物語のあるべき姿がここに

更新日:2015/06/16 16:38

Naoyuki 金井のプロフィール写真 Naoyuki 金井 神社・グルメナビゲーター
2009年に公開されたアメリカ映画『HACHI 約束の犬』は、主演リチャード・ギアにより全米を感動の渦に巻き込みました。
このモデルが東京大学の上野英三郎博士で、2015年新たなハチ公銅像が、博士所縁の地東京大学に建立されたのです。
ハチ公の銅像と云えば渋谷駅ですが、ここ東京大学に作られた訳には、大変興味深い話があったのです。
今回は、そのハチ公と上野博士の新たな銅像をご紹介いたします。

舞台は東京大学農学部

舞台は東京大学農学部

写真:Naoyuki 金井

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東京大学農学部は、御存じ“赤門”のある本郷キャンパスと言問通りを隔てた隣にあり『弥生キャンパス』と呼ばれています。

農学部の歴史は、明治7年の新宿御苑内に創設された農事修学場に始まり、明治10年から現在の駒場(目黒区)にて農学校として近代農学の黎明期を支え、明治23年に帝国大学と合併し農科大学が創設され、後に東京帝国大学農学部となったのです。
明治10年以降、駒場の地に所在していましたが、関東大震災後の昭和6年に第一高等学校と東京帝国大学との敷地交換が決定し、昭和10年に農学部は現在の弥生キャンパスに移転したのです。

現在の弥生キャンパスの正門である『農正門』や農学部1〜3号館などは、昭和5年から昭和16年にかけて建造されたもので、檜の香りも漂いそうな重厚な正門と中世ルネサンスを彷彿とさせるゴシック様式の校舎に、その歴史を感じることができます。

そして、この所縁の地である弥生キャンパスの農正門を入ったすぐ左手に今回銅像が作られたのです。

主人は東京大学の博士

主人は東京大学の博士

写真:Naoyuki 金井

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リチャード・ギアのモデルであるハチ公の主人『上野英三郎』博士は、三重県出身で、明治28年に東京農科大学農学科を卒業し、大学院を経て東京帝国大学に勤めながら、農商務省、内務省を兼務し、耕地整理、土地改良事業の計画に参与し、農業工学講座を担当していました。

この当時は農業土木学の専門技術者は皆無であり、農業土木を研究していた唯一の学者が上野博士で、研究と共に3,000人を超える技術者を育てたのです。
そして育てられた技術者たちが関東大震災後の帝都復興事業に重要な役割を果たしたことは、知られざる上野博士の功績なのです。

そして関東大震災の大正13年から、上野博士はハチ公を飼うことになります。
上野博士は、ハチ公を大変可愛がり、渋谷の居宅から駒場にあった農学部への通勤や、出張の際の渋谷駅で送り迎えをさせていたのですが、大正14年5月大学での講演中に脳溢血で倒れて急逝され、ハチ公との生活は、僅か1年7カ月余りで終わってしまったのです。

その上野博士の銅像は、農正門を入った右側にある“農学資料館”にあり、併せて博士の功績も展示されています。

忠犬と呼ばれるシンボル

忠犬と呼ばれるシンボル

写真:Naoyuki 金井

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ハチ公は、大正12年11月に秋田県北秋田郡の斉藤義一宅で、父犬「オオシナイ」、母犬「ゴマ」から誕生しました。
当時、子供のいなかった上野博士は、秋田犬の仔犬を飼いたいとの希望により、当時の価格30円でハチ公は秋田から届けられたのです。
当時、上野博士の居宅には“ジョン”と“エス”という2頭の犬がおり、ハチ公はこの2頭と一緒に育てられ、特にジョンはハチ公の面倒見が良かったのだそうです。

飼い始めてから1年半ほどで上野博士が急逝してからは、ハチ公は死ぬまでの約10年間渋谷駅で博士の姿を探したのです。
これは、上野博士が出張で長期不在の場合は、ハチ公が渋谷駅で送迎していた慣習から渋谷駅でずっと帰りを待つようになったのです。
この姿が新聞記事で紹介されると大きな反響を呼び、昭和9年に渋谷駅前にハチ公の銅像が出来、瞬く間に“忠犬神話”が造り上げられたのです。

そして昭和10年にハチ公が死ぬと、遺体ははく製にされ、現在、上野の国立科学博物館に保存されているのですが、奇しくも、この時のハチ公の内臓は、上野博士の銅像のある“農学資料館”に一緒に展示されているのです。

新銅像は愛情表現

新銅像は愛情表現

写真:Naoyuki 金井

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“忠犬神話”が作り上げられたハチ公は、昭和12年からは小学校の修身の教科書にも使われる程の軍国主義時代のシンボルとなります。

これは人間が勝手にハチ公の行動を解釈し“動物だって人間に対する恩を忘れない”という美談を創り上げたのです。
しかし、ハチ公の心を考えれば、決して恩を忘れたり、恩に報いるなどと云う気持ちを持っていたとは考えられません。そこにあるのは、ただ自分を可愛がってくれた主人への純粋な愛情だけだったのではないかと思わされるのです。
人間にたとえれば、子が母を慕い、親が子を愛するのに似たもので、渋谷駅を離れなかったのは、心から可愛がってくれた博士に会いたかった、その純粋さだけだったのです。

今回の新銅像を作るにあたっては、戦時中のシンボルではなく、大好きな博士に飛びつきじゃれて尾をふる、人間と犬の本来のあるべき愛情を表現しようと造られたものなのです。

そして、この『ハチ公と上野英三郎博士像』こそが、90年ぶりに再会したハチ公と上野博士の本来あるべき姿なのです。

最後に。。。

今回作られた新しい銅像を知っていただき、ハチ公のストーリーの本質は愛情であることをご理解いただけたのではないでしょうか。
文京区にお立ち寄りの際は、是非、90年ぶりに再会したハチ公と上野博士の喜びの姿を見てあげてください。

掲載内容は執筆時点のものです。 2015/05/02 訪問

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