写真:菊池 模糊
地図を見るナザレのあたりのガリラヤ地方は、砂漠や荒野ではなく、平原で緑が多いところから、地勢的にアフリカからアジアに出る回廊として遥かな古代から人の往来が多く、重要な交易ルートや幾多の王国の係争地にもなってきました。
なかでも有名なのが、エジプトとメソポタミア(アッシリア)の交易ルート中継地として栄えたイズレルの谷のメギドという都市国家です。このメギドこそ、最終戦争ハルマゲドンの地とされています。ハルマゲドンとは、ヘブライ語でハル=丘+メギドすなわち「メギドの丘」を意味するのです。
メギドからほど近いナザレの街は、緑の多いガリラヤの平原に大きく盛り上がった丘の上に位置しています。
ガリラヤの平原を見下ろすような場所ですので、古くから通商交易が行なわれていたようです。イエス父母も含めて商工業者が多い街だったようです。
ナザレの町は坂道が多く、丘の中腹にある受胎告知教会に行くにも下から坂道をだいぶ登っていかねばなりません。現在は割と大きな町ですが、イエスの育った当時は、小規模な町であったそうです。
写真を御覧下さい。アラブ化した交通量の多いナザレのメインストリートを歩いていくと、丘の上方に受胎告知教会が見えてきます。
写真:菊池 模糊
地図を見るイエスが誕生するより前に、主の使いのお告げを受けて、マリアは聖霊によって神の御子を宿されたわけですから、イエス・キリストの時の流れを辿る旅は、まず、ここ受胎告知教会が出発点になります。
この教会は、マリアが受胎告知された洞窟跡とされており、356年にコンスタンティヌス帝の母エレナにより洞窟跡上に最初の教会が建てられました。
その後、複雑な歴史を経て、1969年にフランシスコ会により新たに再々建されました。
したがって、現在の教会は古色蒼然たる感じはなく、現代様式で非常にセンスの良い上品な教会になっています。
フランシスコ会が新たに全力を注いだだけあって神聖な雰囲気があります。とても美しい教会で、イスラエルにあるキリスト教関係の教会の中では白眉と言えます。
写真は陽が落ちたマジックアワーの受胎告知教会のファサードです。こうした夜の教会の姿も荘厳で美しく、感動すること間違いありません。
写真:菊池 模糊
地図を見る受胎告知教会に入場すると、一階にそのマリアの洞窟があり、それをまず見学し、次に二階の聖堂をお参りする形になります。
聖母マリア信仰は世界中に広がっています。
したがって、世界中からマリア母子像などが、ここナザレの受胎告知教会に送られてきています。
教会の内外の壁には、こうした世界各国のカトリック系教会から奉献された聖母マリア像や壁画が飾られており、それぞれの民族衣装を着たマリア様が見られるので、とても優しい雰囲気で敬謙な気持ちになります。つまりここは、聖母マリア美術館とでもいうべき場所でもあるのです。
なかでも、写真にありますように、二階の聖堂内部に飾られた和服姿の聖母子の壁画が素晴らしいです。
これは、日本の長谷川ルカ(路可)画伯が、細川ガラシャ夫人をモデルとして想定し描いた『華の聖母子』というモザイク画です。
長谷川ルカ画伯は、下絵を描いた段階で死去しましたので、まさに遺作です。その後、弟子たちによってヴェネツィアの工房で仕上げられ、分割してここ受胎告知教会まで運ばれ、イスラエルの職人によって壁面に貼り付けられました。
一部に日本製の真珠が埋め込まれた見事な作品で、日本人にとっては最高の聖母マリア芸術といえるでしょう。
写真:菊池 模糊
地図を見る受胎告知教会のすぐそばには聖ヨセフ教会があり、ここがイエスの育った場所とされています。
イエスの父(養父)ヨセフは大工でした。したがって、イエスも大工として育てられたと考えられています。
写真を御覧下さい。これは、聖ヨセフ教会にある絵画で、ヨセフから大工の指導を受けるイエスの姿が描かれています。
聖書では、イエスの少年時代についてほとんど書かれていないのですが、恐らくこれと似たような情景が実際にあっただろうと想像されます。
ここ聖ヨセフ教会にはイエスの住居跡とされる岩場があります。地下洞窟もあり、ヨセフの仕事場跡とされ、東ローマ帝国時代には地下礼拝所として使われたそうです。
これらを見ると、イエスの住居は決して豪華ではなく、洞穴住居を改造したものであったようです。
ここでイエスは、大工の父の手伝いをしたり技術を教えてもらったりして、少年時代から青春時代を過ごしたのかと思うと、我々は深く静かな感動を覚えるのです。
写真:菊池 模糊
地図を見るナザレの町は、現在は全体としてイスラム化しており、その中にキリスト教の教会が多くあるという形になっています。
住民はイスラム教徒、ユダヤ教徒、キリスト教徒が混在しており、この町の複雑な歴史を反映しています。
ちなみに現在のナザレ市長はキリスト教マロン派だそうです。
この町は、「ナザレのイエス」「ナザレ人」と呼ばれたイエス・キリストが、幼少期から公生涯に入るまでを過ごした場所です。
キリスト教徒にとってきわめて重要な場所であるため、歴史的に古くからヨーロッパ人の流入も多く、さまざまな宗教文化が併存する、世界的にも稀有な町となっています。
写真は、聖ヨセフ教会の外壁に掲げられたイエスの幼少期の家族像ですが、こうしたイエス・キリストゆかりの見どころが多く、現在は世界からの観光客で賑わっています。
上段落で紹介しました、聖母マリア受胎告知教会や聖ヨセフ教会だけでなく、イエスがイザヤ書を朗読したシナゴーグ教会、メンザ・クリスティ聖堂、青年イエスの教会、聖ガブリエル教会などがあり、これらの聖なる場所をめぐって巡礼の一日を過ごす貴重な体験をされてはいかがでしょうか。
イエスの育ったナザレの町を歩けば、二千年前の歴史の場面に立ち会うような気分になります。
特に、聖母マリア受胎告知教会と聖ヨセフ教会は必見です。この二つの教会を訪ねることで、謎の多いイエスの若き日々に思いを馳せることができます。
キリスト教徒でなくても、とても敬虔な気持ちになるでしょう。
イスラエルに旅された際は、ぜひこの町を歩いてください。
また、ナザレの町を散策した後は、イエスが伝導を開始したガリラヤ湖畔に行ってみましょう。
詳しくは、下記メモ欄から「イエスが伝導開始した地イスラエルのガリラヤの春を旅しよう!」を参照してください。
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(2024/3/18更新)
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