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讃岐国の中心だった小さな港町〜東かがわ・引田〜
香川県のほぼ東端、東かがわ市の小さな町に、わずかな期間ながら讃岐国の中心部だった頃がありました。文禄4(1595)年、讃岐国17万1800石を与えられ…
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鎌倉きっての悲劇の舞台。比企氏を偲ぶ深い谷〜妙本寺〜
鎌倉を囲む丘陵の南東、比企ヶ谷(ひきがやつ)という谷があります。鎌倉でも比較的奥行きのある谷(やつ)で、小説家・永井路子は「鎌倉の地形のおもしろさを感…
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歴史も格も折り紙付き!古代より栄える堺の名社名刹群
古代より国際貿易都市として繁栄してきた堺。人の住むところに信仰あり。古代より歴史を紡いできた堺には、古代からの歴史を誇る名社があります。また、歴史の表…
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大阪で感じる古代の技術と政治の匂い〜堺・百舌鳥古墳群〜
大阪府には世界文化遺産を目指す史跡群があります。百舌鳥(もず)・古市古墳群です。そして、2つの古墳群のうち、堺市内に点在する古墳群を百舌鳥古墳群といい…
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北方の文明開化を建物に知る〜弘前近代建築めぐり〜
明治期に入り、西洋の文化を次々と吸収していった日本ですが、本州の北方の街にもその波は押し寄せました。とりわけ、弘前はお雇い外国人を抱えて北方における文…
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北国に見る多彩なキリスト教の広がり〜弘前市街の教会群〜
明治期に入った弘前は明治政府の神仏分離政策によって社寺の整理が行われ、神道や仏教には混乱が起きました。他方、明治政府の欧化政策や開港に伴い、広がりを見…
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弘前城下の様々な物語を今に伝える曹洞宗寺院群〜禅林街〜
江戸期、城下町建設の際、寺町の配置には城下の防衛が意識されました。有事に寺々を砦として利用し、城下町防衛の前線基地とするためです。津軽・弘前城下で寺町…
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北国武士の朴訥さ滲む生活を知る〜弘前・仲町武家屋敷街〜
青森が誇る現存城郭・弘前城のある通りから1本、2本北を東西に走る通り、ここが仲町(なかちょう)武家屋敷街です。現在の町名では、若党町・馬喰町・小人町に…
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北国・津軽が誇る現存天守を擁する城郭〜弘前城〜
青森県の津軽地方を治めていた津軽藩の居城は、弘前市にある弘前城です。築城を決めたのは慶長15(1610)年、2代藩主・信枚の頃になります。縄張は南北に…
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大阪府の辺境で連綿と続く大いなる信仰を見る〜水間寺〜
一向宗寺院の寺内町として発達した大阪府貝塚市。この貝塚市街から東へ行った盆地に寺内町よりも古くから伽藍を広げるのが“水間観音”の名で知られる水間寺です…
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近江八幡の端緒であり近江・信仰の淵源たる名刹〜長命寺〜
昔ながらの町並みを残す近江八幡。現在の市街地は戦国時代に開発された城下町を端緒としていますが、それ以前の近江八幡は参詣道に往来がある程度でした。そして…
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全国に名を轟かす讃岐名社の美しい建築たち〜金刀比羅宮〜
金刀比羅宮は象頭山(ぞうずさん)の中腹に鎮座しています。古代、降水量の少ない四国最大の平野・讃岐平野を見下ろすきれいな台形をしたこの山が注目され、この…
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参詣だけじゃない、信仰を集めたこんぴらさん門前町を愉しむ
江戸期より全国から参詣者が訪れた金刀比羅宮。“こんぴらさん”として親しまれ、現在も多くの信仰を集めています。多くの人々が訪れると、門前町は栄え、信仰に…
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北政所の兄が立藩。岡山に残る凛とした陣屋町〜足守〜
岡山市街から北西へ10キロほど。山と清らかな川に抱かれた足守という小さな町があります。ルーツは豊臣秀吉の正室・北政所の兄にあたる木下家定。家定は関ヶ原…
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日本史に登場する偉人の墓所ひしめく町〜大阪・太子町〜
大阪府南東部。『万葉集』の歌枕として知られる二上山を東に控える太子町は古代の御陵や古墳が数多く残り、“河内飛鳥”とも称されるほどです。また、二上山の南…
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大阪の寺内町が誇る町屋建築〜富田林・旧杉山家住宅〜
大阪府の中南部。富田林には一向宗の寺院を領主とする自治都市・寺内町が存在しました。この寺内町はきれいに保存され、現在は府下唯一の重要伝統的建造物群保存…
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濃厚な歴史を伝える大阪河内要衝の大寺〜河内長野・観心寺〜
大宝元(701)年に修験道の開祖として知られる役小角によって開かれ、天長4(827)年に空海の弟子によって伽藍が造立された河内地方きっての古刹・観心寺…
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楠木正成伝説の戦を展開した大阪河内山城群〜千早・赤阪城〜
元弘3(1333)年2月、河内国(大阪府)の金剛山西麓で鎌倉幕府に対する反乱が起こりました。幕府は早急に鎮圧しなければ政権の威信が揺らぎ、反乱が飛び火…
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青函連絡船、空襲…、物語を感じる本州北辺の港町〜青森〜
青森の町の歴史はさほど古くありません。弘前藩による江戸への廻船が許可されたことで港町開発の必要性が生まれ、白羽の矢が立ったのが青森でした。藩主が家臣に…
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泉州の中心地の繁栄を伝える近代銀行建築群〜岸和田〜
岸和田は江戸期、岸和田藩5万3000石の城下町として整備されると綿糸・綿布の集散地として繁栄しました。これが近代にも引き継がれ、泉州紡績工業地帯の中心…
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下関が誇る現代建築の魅力〜唐戸市場・海峡ゆめタワー〜
明治期より発展してきた下関には、明治期から大正期にかけて建てられたいくつかの魅力的な近代建築があります。これらからは日本が西洋を模しながら建築技術を磨…
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関門海峡を隔てて伝える戦と信仰の歴史〜下関・門司〜
狭いながらも本州と九州を分けて隔てる関門海峡は古くより海上交通の要衝です。それは商業の面においても、戦争の面においても言えることでした。元暦2(118…
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北九州と大連を繋ぐ友好の証〜門司港・国際友好記念図書館〜
北九州市にある門司港は中国の大連市との間に重要な国際航路があったことから北九州市と大連市は交流が盛んで、昭和54(1979)年に両都市は友好都市となり…
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北九州に残る三井財閥自慢のホテル〜旧門司三井倶楽部〜
旧門司三井倶楽部は大正10(1921)年に三井物産門司支店の社交倶楽部として門司の山手に建てられました。当時、地方都市に欧米人を招く場合、欧米人にふさ…
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北九州の要港にそびえる美麗な塔屋〜門司港・旧大阪商船〜
明治18(1885)年、九州の要地に港を建設してこれを鉄道で直結させることが国運の高まりに繋がるとし、その要地を門司と定めました。そして、明治23(1…
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山口の瀟洒な要港の町で近代建築探訪を愉しむ〜下関〜
関門海峡に臨む本州最西端の都市、下関。戦前戦後の関門トンネル開通まで本州と九州を結び、現在も本州とアジアを結ぶ“西の玄関口”としての機能を果たしてきた…
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豊臣秀吉の後継・秀次の悲劇を伝える城〜滋賀・八幡山城〜
豊臣秀吉の甥にあたり、秀吉の後継者として家督を継いだことで知られる豊臣秀次。のちに謀反を起こしたとして高野山に蟄居後、切腹した疑問の多い人物とされてい…
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桜や工芸、伊勢の宿駅に滲み出る美しさ〜鈴鹿市・白子〜
三重県鈴鹿市は鈴鹿サーキットで全国的に知られますが、海に近い白子(しろこ)には意外にも古い町並みが残っています。伊勢神宮に通じる旧伊勢街道が通り、松阪…
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全国で手本にされた岡山藩主仁政の証〜備前市・旧閑谷学校〜
武断政治から文治政治への過渡期にあたる江戸初期、好学と仁政で知られる「三名君」と呼ばれる人物がいました。会津藩の基礎を築き幕政でも辣腕を振るった保科正…
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現代アートのような高知南西の絶景〜竜串見残し海岸〜
四国最南端・足摺岬から西へ24キロほどの沿岸。奇岩怪石の宝庫である竜串海岸と見残し海岸です。第3紀層の砂岩が海や風によって削られた海食台地、これが正体…